
歴史書が残っているがゆえの苦悩と楽しさ、の話
ふぅー。
私は日々、チェコ語の歴史書や論文と睨めっこしております。
調べるのは面白いんですが、なかなかに疲れるもんですな(゜∀゜)
私が研究しているのは、15世紀のチェコ貴族「アレシュ・リーズンブルク」という人物。
Wikipediaにも記事が載っているし、歴史書にもちらほらと名前が出てきます。今から約600年前の人物です。
しかしその人生には不明な部分も多く、生まれた年や日付けも分からないし、亡くなったときの死因や死亡した場所なども不明なのです。
アレシュについて歴史書に出てくるのは、特に目立った活躍のあった1420年と1433年のことばかりで、むしろそれ以外の記録はほとんど無い、というのが現状です。
ですから、私はその記録の無い部分を見つけるために、日々様々な資料を漁って目を通しています。
もちろん全てチェコ語の資料ですので、調べるためのキーワードを選定するのも一苦労です。
チェコ語のアルファベットをスマホで入力できるアプリを導入して、調べたいものを的確に表すチェコ語はどんなものなのかを試行錯誤しております。
それでも分からない、見つからないものに関しては、夢ですとかヒプノセラピーですとか、占いなどといったスピリチュアルな方面からのアプローチで解き明かそうとしているのでございます。
先日、占い師さんのところに行ってきました。
その方は霊視のできる占い師さんで、私の背後に居るアレシュが何と言っているのかを私に教えてくれるのです。(※アレシュは私の前世である可能性があり、霊魂の一部が独立して背後霊のようになっています)
私:「今日は、アレシュのお墓の場所を聞きにきました。先日、ロストキングっていう映画を見まして、それと同じことをやってみたいなぁ、って思ったんですよ。アレシュのお墓も遺体も、まだ発見されていないんです。アレシュはどこで亡くなったのか、私なりに場所の見当をつけてきました。マップを開くので、そこで合っているか教えてください。」
そう言って、私は占い師さんにスマホのマップを見せました。
のですが、あれれ。
いくら探しても、マップ上に私が目星をつけた場所が表示されません。
占い師さん:「ないないオバケですね(笑)。アレシュさんが、『カンニングしないほうがいいよ、今知るのはもったいないよ』って言ってますよ」
どうやら、スマホの表示バグはアレシュのしわざのようでした。
アレシュは、私が自力でお墓の場所を突き止めることを願っているそうです。占いで知るのは、映画を見る前にネタバレをするようなものだ、とのこと。
また、アレシュ自身が、研究太郎さんと一緒に前世探求の謎解きをするのを楽しんでいますね、と占い師さんは言います。
占い師さん:「アレシュが言うには、『私の遺体を掘り当てたら、右腕に傷跡があるから、すぐに分かるよ』と言っています。」
私:「そう!私もそう思います!私のアザのある場所は、アレシュの傷と同じ場所のような気がしているのです。むしろ私は、その証拠となるものを探したくていろいろ調べているんですよ!」
私の右腕には生まれつきのアザがあります。
バースマークといって、前世に関わりのあるものだと言います。
私はかつてヒプノセラピーを受けた際にアレシュの人生を見まして、アレシュが右腕に大怪我を負うシーンを追体験したことがあります。
その傷の場所が、私のアザと同じ場所なんです。
だから、もし私がアレシュの生まれ変わりだとするならば、アレシュの遺体にある傷跡が何よりの証拠となると思っています。
占い師さん:「アレシュは、こうも言っています。『俺はなーんにも目立ったことをしてないから、あんまり歴史書に残らないんだよねー。とんでもない悪事とか、人をいっぱいコロしたとかだったら歴史に名も残るんだけど。』って。」
私:「うんうん、分かります。けど、アレシュがやった事って、地味だけれど多くの人を助けたんですよ。戦争で功績を上げるより、よっぽど素晴らしいことです!」
私は、これまで長いことアレシュについて調べてきましたので、彼の功績がいかに素晴らしいのかを知っていました。
占い師さんは私の背後に目線をやって微笑んでいたので、アレシュが喜んでいる姿が見えていたのでしょう。
さて、続けて占い師さんが言うには、アレシュは戦争が終わった後は政界を引退したのですが(※アレシュは1433年に、チェコ全土から集まった有識者会議で、暫定政府の長に選出されました。そしてアレシュの指導のもと、戦争が終結します。その後、アレシュは戦争で荒廃した都市や村の復興作業に邁進し、1436年に政界を引退します。)、その後は名前を変えて隠遁生活を送ったというのです。
アレシュは美しい顔立ちをしていましたが、隠遁生活のときはヒゲをもじゃもじゃに生やして、誰だか分からないように変装していたんですって。
戦争で荒廃した畑をみずから耕したり、財産を貧しい人に分け与えたりして、民衆の中に溶け込んで人助けをしたんだそう。
私がこれまで調べた限りでは、そのような記述に出くわしたことはありませんでした。
ですから、占い師さんの話を聞いてもあまり実感がもてず、それに関しては「へぇー、そうなんですね」と、あまり前のめりにはならずに聞いておりました。
今回の占いは30分だけだったので、あとは数名の方の前世について軽く見てもらって、その日の占いは終了しました。
ところが、です。
本日、またチェコの資料をえっさほいさと調べておりましたところ、ある歴史書の中に、こんな記述を見つけた次第。
Ales ml. s chotí Annou Zil v 1. 1370-1400 na Vrestovē.
Synové jeho byli: Ales 1402-1448, známý pozdeji nácelník Orebských a správce zemský, a snad Jan na Jericích,
Historický vývoj Cech severovychodních.より
訳:
アレシュ(父)と妻アンナは、1370年から1400年にかけてVřeštovに住んでいた。
その息子であるアレシュ(1402年生まれ1448年死亡)は、フス派組織の「オレブ」の頭領であり、州の総督として有名であった。また、おそらくヤン・イェジツェである云々
こんな記述は初めて見ました。
これは、チェコのある研究家がまとめた歴史書の一部なのですが、それによるとアレシュは1402年生まれで、死亡は1448年とのこと。
オレブの頭領で、州の総督ということは、私が研究する「アレシュ・リーズンブルク」で間違いないでしょう。アレシュの家系は、男のほとんどが「アレシュ」という名前だからややこしいのです(笑)
そんな中、そのアレシュの別名が「ヤン・イェジツェ」なんていうのは初耳でした。
また、生没年さえも書いてあるのに驚きました。
私がこれまで知り得ていた情報では、生年は不明でしたが、おそらく1390年頃だろうという予測を立てていました。
死亡年については、複数の資料が1442年を指しています。
しかし、私が実際に見た資料によると、「1442年にアレシュを訪ねる人があったが、その頃にはもうアレシュは亡くなったと聞かされた」という伝聞があるだけでした。
いくら探しても、アレシュが死亡したという直接の記述や、どこに埋蔵されたのかについての資料を見つけることができないのです。
ところがこの歴史書によると、アレシュは1448年まで生きていたですって?
ここで、占い師さんの言葉を思い出してみましよう。
「政界を引退したアレシュは、名前を変えて変装して、隠遁生活を送りました」
このことと今回の歴史書に書かれたことを合わせて考察してみると、
「政界を引退したアレシュは、自分はもう死んだということにして、名前や風貌を変えて余生を過ごした」
というストーリーになりませんか?
(゜∀゜)つじつまが合いますな。
ちなみに改名後の「イェジツェ」ですが、これは地名です。
アレシュの本拠地である「ブジェシュトフ」の町のすぐ近くです。アレシュの両親は1400年に居住地を変えたのですが、引っ越した先がこの「イェジツェ」だったんです!
隠遁したアレシュは、この町で余生を過ごした可能性があります!
(゜∀゜)
なんて素晴らしい発見なんでしょう!
そしてさらに、私がヒプノセラピーで得た知見をこれに加味しますと、アレシュは1402年の生まれではなく、1402年に養子として迎え入れられた、というストーリーになります。
んで、さらに。
私がチェコ旅行に行く前に、占い師さんから「Jのつく地名があやしいですね」と聞かされておりました。
Jのつく場所に、アレシュのルーツがある、って。
私は「ヤロメルシ(Jaroměř)」の町だと考えて、旅行の際にはそこを訪れました。
けど!
本当はこの「Jeřice(イェジツェ)」のほうが関わりが深いのかもしれません。
んで、さらにさらに。
イェジツェを調べてみたところ、古い教会がありました。
その名は、「聖マグダレナ教会」。
マグダレナって、私が前世探求記の続編「ボヘミア英雄伝」に登場させた、通訳ガイドさんの名前じゃないですか。
(゜∀゜)
なんだい、この運命の巡り合わせは。
鳥肌から羽毛が生えてしまう!