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アメリカのファッションの伝統を守ったのは他ならぬ日本だった
デーヴィッド・マークス『AMETRA』を読んだ。
数年前に出た本なのだけど、青山ブックセンターに
平積みされたたんだよね。
日本の男性服飾史ともいうべき本で、
IVYだとか石津謙介だとかは断片的に知っていたけれど
石津謙介からNIGOまで、これまで通史として
あまり意識してこなかったので、読んでみると色々と面白かった。
新入社員時代、カメラマンさんとかがCapital好きって言ってたけど、
この本読むとあぁ、そういう流れなのねーと今更ながら理解。
レディースの服飾史ばかり読んできて、
男性のに無頓着だったことにやや反省した。
アメトラはアメリカン・トラディショナルの略。
アメリカで失われかけた伝統を守ったのは日本で、
それがまたアメリカに逆輸入されるような現象につながっていく流れは
文化の伝播の歴史としてもとても興味深い。
日本人がーー暗黒時代にアリストテレスの自然学を守ったアラブ人よろしくーー数十年がかりでドレスダウン・フライデーを毎日の習慣と化してしまったアメリカの代わりに、アメリカン・ファッションの伝統を守ってきたとする見方が一般化する。P.14
ちなみにアメリカに逆輸入された復刊された『Take Ivy』売ってた。
石津謙介のエピソード
岡山の実家でくすぶっていた石津に兄から天津に手伝いに来ないか、という連絡が来て喜び勇んで海外へ行くくだりなんだけど・・・
「全くの自由時代に育った当時の青年にとって特に私のように毎日刺激の欲しい者どもは、自由の天地に対する憧れがますます強くなってくる」。ほかにももっと差し迫った理由があったーーお気に入りの芸者が妊娠したといううわさが、謙介の耳に入ってきたのだ。結局はただのデマだったものの、彼はそれが判明する前に、街を出ることにした。P.9
なかなかダメ人間な理由で笑える。
こういうエピソードがあると、人間臭さがでるよね。
石津謙介、メディアを牛耳る
彼および彼のブランドVANの隆盛は、彼がメディアを握ったのがでかい。
婦人画報社から『男の服飾読本』が刊行されるのだけど、
執筆を手伝っただけでなく、自分の御用報道機関と化し、
雑誌の随所にVANの広告や衣類の見本を織り込んだ。
35000部刷られた雑誌のほとんどを買い上げて、
VANの販売店に売りさばいたらしい。
オー・ミステーク事件
若者のファッションがけしからん、退廃だ、ってな
言説はいつの時代もあるもので、1950年にはオー・ミステーク事件てのが
あったらしい。これは日大ギャング事件とも言われていて、
wikipediaにはそっちで載ってた。
要は日本大学に努める19歳の運転手が同僚の車に押し入り現金191万円を強奪。ガールフレンドと豪遊した事件なんだけど、逮捕時に「オー・ミステーク!」と叫んだらしく、これが一躍新聞の見出しを飾ったらしい。
豪遊の内容も銀座の高級洋服店で服を買い漁るなどしており、
アメリカ文化の受容→若者の退廃、みたいな象徴的な事件になったんだとか。
でも、なんか間抜けでいいよね、オー・ミステーク!
ヒッピーブームも多くは現地で着替えてた
日本のヒッピーはそのほとんどが、相変わらず社会的な規則に縛られていた。だから特定のエリアでしか、ヒッピーになれない子供たちも多かったんだ。友達といるときはヒッピーでも、そこに着くまで普通の格好をしていた
なんとも日本人らしいというか、じわじわくるエピソード。
渋カジ〜藤原ヒロシ、NIGOまで
渋カジはオシャレでいることのハードルを下げたと位置付けられている。
ファストファッション流星の起源を辿れば渋カジに行き着くという見立て。
こいういう歴史を概観する見方はとても面白い。
NIGOが藤原ヒロシ2号というあだ名から取られたエピソードなども
紹介されているんだけど、この日本の男性服飾史をまとめたのは
デーヴィッド・マークスさんというアメリカ出身の方。
下手に日本人がまとめるよりもある種の客観性を伴いながら
まとめられている気がしていて、非常に面白かった。
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