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大雪降ってるし自粛状況だし引き続き引きこもり 2020/03/29
劇場版「PSYCHO-PASS 3」
早朝に目覚める。起きた時はまだ雨だったが、そのうち予報通りの雪へ変わった。昨日から劇場版の「PSYCHO-PASS 3」がAmazon Prime限定で公開されている。映画館へ足を運べない今、3話に編集されて同時公開されるという試みを諸手を挙げて喜びたい。
一旦今回の事件にも解決は見られるものの、さらに続きが見たくなるエンディング。システムによる診断、管理に委ねた近未来の世界観も好きだが、何よりもバディものの名作だよなぁ。などと考えていたらアシモフの鋼鉄都市のことを思い出した。
これは人間とロボットのバディものの名作。
ぼやっとしていたら雪に変わっていた。
桜の季節に降る雪を「桜隠し」と言うらしい。
冬の象徴と春の始まりの邂逅。
ネットワークの効果と教育
けんすうさんのツイートで知る。とてもわかりやすい。内容とは別に、こういったフォーマットにも感心。教育や教材もこうやって進化していくんだろう。
誰かがシェアしてたんですが、僕これ大好きなので、見たことない人はやってみてください!
— けんすう@マンガサービスのアル (@kensuu) March 28, 2020
群衆の英知もしくは狂気 https://t.co/k5v5Bw0BnN
マーチャンダイジングとか地方再生とか
ECにおいてもマーチャンダイジングはとても重要なのだけど、MDとバイヤーは全然違う。バイヤーはたくさんいるけど、MDと言える人は少ない。定期的に自分も基本に立ち返ろうと思っていて、今日はマーチャンダイジング関連本を読んだ。
上下巻でタイトルが微妙に違うというのは結構新鮮。標準化のための作業手順書(マニュアル)の整備と、そのためには標準作業時間の計測と制定が必要なんて下りが気になった。標準作業時間までは定めていなかったな。くだらないデスクワークほどさっさと終わらせた方がいいから、標準作業時間を定めるのは有効かもしれない。
また、店頭を前提に書かれているからなのだが、プロモーションはPI値の向上に寄与するのだと。これはECで言う所のいわゆるCVR(コンバージョンレート)なんだけど、自分の感覚では有効なプロモーションは集客とCVRの改善の両方に寄与する。まぁこれは既存の顧客に対してこちらからコミュニケーションを取りに行けるダイレクトマーケティングが確立しているからなのだけど。だからリアル店舗でもCRMうまくできてるところは強い。
それと徳島県の神山町の奇跡、通称「神山の奇跡」はこの本で知った。徳島がネットワーク環境などを整備して誘致してるって話は知ってたけど、人口5000人まで減少した町が再び人口増になり、商店街が復活するにまで至っていたのね。
関連本調べてみたのでいつか読もう。
ドラえもん
今日も劇場版を2本観た。
海底鬼岩城はバギーがしずかちゃんに優しくされて涙を流しながら、オイルが漏れてるだけというシーンがあるけれど、オイル漏れちゃまずい気がする。そしてポセイドンはファミコンでなんか出てきたよね、というのを突然思い出した。
で、普段プレイ動画とかみないんだけど、探してみたら発見。超絶懐かしいではないか。
宇宙小戦争はピリカ星の独裁者の監視体制の描き方が『1984』へのオマージュ。巨大な独裁者の壁画の目がカメラになっててドラえもんたちを見ている。まさにビッグブラザー。映画の公開年は1985年なんだけど、コロコロコミックに大長編ドラえもんとして連載が始まったのは1984年!こう言うリンクは小学生の頃には気づかなかった。
ちなみにオーウェルが『1984』を発表したのは1949年。ちなみに執筆していたのが1948年で、4と8をひっくり返したアナグラム説というのもあるらしい。
引き続きゼーバルト『アウステルリッツ』を読む
読み進めるうちに次第にアウステルリッツの語りは自分の生い立ち、そして家族のことへと推移していく。そして話題は重苦しく、沈鬱なユダヤ人の迫害の歴史へつながっていく。しかし、どんなに言葉を尽くしても、その時の現実は再現しきれない。どんなに言葉を尽くしても語り得ぬ限界があり、それでもなお語るのだ。
アウステルリッツが前半に語るヒラリーという教師のエピソードがこの本のテーマを如実に表している。いや、かなりストレートにこの作品のテーマにつながるエピソードだと言える。
一八〇五年十二月二日という日を、ヒラリーは何時間だろうが語りつづけることができました。しかしいかに語ろうと、それでもあまりにも多くをはしょりすぎた、というのが彼の意見なのでした。なぜなら、よしんば考えもつかない体系的な方法によって語り得たとしても、とヒラリーは私たちにくり返し言うのです、はたしてその日一日のうちに何が起こったか、正確に、誰がどのように果て、あるいはどのように命拾いしたか、たとえば宵闇が降りてきた時刻ひとつとっても、その時戦場がいかなるありさまだったか、負傷兵や瀕死の兵がいかばかり泣き叫び、いかばかり呻いていたかーーそれらをほんとうに描き出すためには、はてしない時間が必要であるからである、と。つまるところ、我々は自分たちの知り得ないことを、<戦局は二転三転した>といった笑止千万兄知行なり、似たり寄ったりの毒にも薬にもならぬ表現なりに一括りにしてしまうしか、なすすべを持っていない。(中略)我々の歴史への関心というのは、つまるところ出来あいの、頭の中に先に刷り込まれたイメージへの関心にほかならず、われわれはそれをためつすがめつしているだけである、実は真実はまったく別のところ、誰も気がつかないどこか別の片隅にあるというのに、というのがヒラリーの自説でした。
P.69 - P.70
今、自分たちを取り巻いている現実に起きている危機に関しても考えさせられる。
それはそうとして、娘がやってるどうぶつの森を覗いてみたら、家の周りの木がことごとく伐採されていて木材が集められない。大丈夫なのだろうか。現実世界はコロナで引きこもりだが、多くの人がコロナのないあつ森と言う名の無人島へお出かけしている。コンテンツは偉大。
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