小説に、読み取るべきことなど本来はない。ただ、読みたいように読む。本を閉じた瞬間に書かれてあったことなどすっかり忘れてしまってもよいのかもしれない。 2020/08/10
朝からランニング、今日は1時間コースをとにかくゆっくり走ることを心がけてみたら、無事完走できた。脂肪が燃えてくれればいいので、あまり無理せずのんびり走った方が良さそうだ。のんびり走っても、早朝でも、この時期は大量に汗をかく、気持ちは良い気もするし、こりゃ真っ昼間に運動してたら死ぬわ、とも思う。
午後は少し散歩をしに、一人で池袋に出掛けた。ディスクユニオンとブックオフをチラチラみながら、特に収穫もなく、いや、唯一ディスクユニオンでは守安祥太郎の評伝『そして、風が走りぬけて行った』が手に入ったのは収穫というべきか。しかし猛烈に暑い。
猛烈に暑いのでさっさとデパ地下に寄ってサラダや惣菜、つまみなどを買って帰宅。デパ地下は楽しい、というか、もはや半年近くならんとしている自粛生活の中で、食のバリエーションが尽きてきた。自分で作るもの、家族が作るもの、ウーバーイーツで調達するもの、近所のテイクアウト、近所の外食、どれにも正直飽きてきた、という感じ。なので、デパ地下は楽しい。
昨日読んでいた保坂和志の『読書実録』のことを考えている。メルヴィルの「代書人バートルビー」の話が出てくるのだけど、ちょうどそれを僕も今年だか昨年だかは忘れたけれど、読んでいたので。自分が読んだのはボルヘスのバベルの図書館に収録されたバージョンだったのだけど、すベてを「せずに済むならありがたいのですが、」と断っていく奇妙な話だった印象は残っていて、おやおや、こんなところで再開するとは奇遇ですね、という感じだった。ひとまず、『バベルの図書館』読んどいて良かったなと思いつつ、まだ10冊くらい残っているので、未読のものを全部読もうかな、などと思いながら、朝吹真理子『抽斗のなかの海』を読んでいる。
読んだはしから物語を忘れる読書は、人によっては無駄な読み方に思えるかもしれない。でも、無駄な読みこそ最も愉しい読書体験ではないかと思う。小説に、読み取るべきことなど本来はない。ただ、読みたいように読む。本を閉じた瞬間に書かれてあったことなどすっかり忘れてしまってもよいのかもしれない。
自由であるからこそ、読書はかえがたい歓びとなる。
朝吹真理子『抽斗のなかの海』P.104
ほんとにそうだよねぇ、とうなずきながら読んでいる。好きな時に好きなものを好きなように読む。そうやって暮らしていきたい、というか今は結構それに近づいてきている気がする。書棚だけが問題だ。
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