芸術は時に凡庸な精神の持ち主をも動かすものであり、最も鈍重な俳優によって、新しい世界が啓示されることもあるのである。 2020/06/23
詰め物が取れてしまったことをきっかけに歯医者に通っているのだが、今日は埋める予定のはずだった銀歯が、ハマらないらしく、何度チュインチュインって先生が削ってやり直そうとしても、うまくいかない、らしい。本人には正直何してんだかよくわからないし、ハマってるのかハマってないのかもよくわからないのだけど、結論としてはハマらなかったらしく、もう一度型取りからやり直しということになったのだけど、そういえば前回も型取り失敗して、2回型を取られた訳で、何かと型を取るのが下手なのか、自分が型のとりにくい人なのか、謎は深まるばかりである。
『千夜一夜物語』のことをつぶやいていたら、リムスキー・コルサコフの『シェヘラザード』をBGMにぜひ!とおすすめされたので、早速それをかけながら1巻を読み終わった。
今読んでいるのは岩波書店から刊行されていてついに完結したガラン版なのだけど、訳者の西尾さんの解説によると、ガラン版は、アラビア語の原典をそのまま忠実に訳してはおらず、卑猥なシーンは奥ゆかしく書き換えられているそうだ。確かに読んでいてなんかおとなしいんだよな、とは感じていたのだけど、そういうことか、って感じ。
つまりガラン版では「礼儀上ゆるされない」ことは訳されていない。このような「原文には必ずしも忠実ではないが読みやすい翻訳」を「不実の美女」と呼ぶらしい。現代日本の翻訳に対する考えかたを基準にするならば、『ガラン版千一夜』はまさに不実の美女だった。
西尾哲夫訳『ガラン版 千一夜物語』P.294
続いて、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』の続きをちらほら。
初めのうち、二人は黙ったまま、紡錘形の果樹に沿って歩いて行った。彼は朗誦の興奮がいまだ冷めやらぬままだったし、彼女の方は心の奥底に、文学がもたらす驚きのようなもの、一種の魅力を感じていた。芸術は時に凡庸な精神の持ち主をも動かすものであり、最も鈍重な俳優によって、新しい世界が啓示されることもあるのである。
フローベール『ブヴァールとペキュシェ』P.198
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