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翻訳ってスゴイ。タブッキ読んでたらシェイクスピア読みたくなった話

アントニオ・タブッキはイタリアの作家(だから須賀敦子が訳してる)で、シエナ大学では文学とポルトガル語を教えていた(だからペソアにも造詣が深い)らしい。

『逆さまゲーム』は、こちらから見えてる事柄も、逆の立場から見ると全然違っていたり、あることを知っている/知らない、で全く違う見え方になってしまったり、といったことがテーマになっているような短編集。

順を追って系統立てて筋を追いやすくするような文章ではないので、慣れないと訳わからん、とかにもなりそうだけど、慣れてくるとこの境界線が曖昧な文章が生み出す雰囲気が癖になってくるような気がする。ボルヘスとかと似たような類、かも。かくいう自分も作品によってハマれたりハマれなかったりなので、こればっかりは読むしかないのだけど。

とまぁ、そんな事はさておき、読んでいたら、ラス・メニーナス(確かに『逆さまゲーム』を象徴するような絵だよなぁ。)が出てきて、そのあとペソア(昨年でた『不安の書』の増補版買ってないなぁ。)が出てきて、好きなものが連鎖して出てくるなと思ったら、シェイクスピア劇の俳優として有名だったのだけど隠棲した人っていうキャラが出てきてこいつがどうも気になった。そういえばシェイクスピア、最近読んでないなぁ、って感じで。



学生の頃は白水Uブックスの小田島雄志訳で読んでいたのだけど、調べてみたら現在ちくま文庫で松岡和子訳の全集が刊行中だということを知る。しかももう31巻まで刊行されている!


調べてる中で松岡訳に関してあまり舞台ぽくない翻訳、みたいな評があったのだけど、それがむしろ気になって読みたくなってきた。まぁ過去の芝居がかった台詞回しの訳に比べると、っていう話であれば、それはそれで魅力的。

翻訳者によってそんなに変わるもんかいね?と思う方も多いかもしれないけれど、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」というハムレットの超有名な一節を取ってみても比べてみると全然違う。他にも翻訳者の苦労がわかりやすく解説されている記事を見つけたのでおすすめ。

この記事を読むと翻訳者の苦労もわかるし、別の言語に置き換える際のクリエイティビティってこういうことか、とか、それでも原文との埋められない距離ってものが出てしまうこともあるってのがよくわかる。いやはや翻訳ってスゴイな。そういう意味では対訳を見比べながら読むってのが面白そうだけど・・・。

という訳で本を読むと芋づる式に読みたいものが増えてしまうのだけど、何から読もうか、とかいつ買おうか、とかあーでもない、こーでもないと考えるのもまた読書の楽しみの1つ。


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