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認知症ケアから考える〜本人に聞かずに勝手に決めてしまうのはなぜ?
過去に受けた傷つきを悲しめないままでいる。
そうであるうちは、他人のことまで考えが及ばない。
自分が自分自身の傷つきに思いやれない人が、他人のことを思いやることは難しい。
だから、聞けない、聞かない。
「本人に聞く」そんな当たり前のことができるようになるには、聞く側が自分の傷つきに気づき、心から嘆き悲しむことが当たり前になることが必要なんじゃないかな。
人は心の底から嘆き悲しむことで自分の尊厳を回復することができるから。
◆◆◆
2/1土曜、認知症ケアについて学びたくて「〜パーソン・センタード・ケアと認知症について考える〜認知症の人 本人に学ぶ」に参加してきました。
◉講演
・丹野智文さん/認知症当事者ネットワークみやぎ代表理事、おれんじドア
・水野裕さん/認知症専門医
◉パネリスト
・村田康子さん/パーソン・センタード・ケアを考える会
・石原哲郎さん/みはるの杜診療所院長
39歳で若年性アルツハイマー型認知症を診断された丹野智文さんの話に引き込まれた。
「認知症」と診断された途端に「ひとりではなにもできない人」とまわりから見なされてしまう。認知症と一口に言っても初期から重度までグラデーションがあり、百人百様でその症状はひとりひとり全く異なる。
なのに、一緒くたにされ、ラベリングされ、自己決定・意思決定を奪われてしまう。察する意識が強すぎて先回りされてしまい自立意欲をなくす。尊厳が踏みにじられる。
そうして、より重度化に拍車がかかってしまう。うつ的になってしまう人も少なくないらしい。
「認知症患者」ではなく、ひとりの「人」として見るということ。なにもできないわけじゃない、できることはたくさんある。
だから、一番大事なのは本人に聞くこと。一緒に話してみること。
医者が治すのではなく、ともに考える姿勢が大切。
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最後に会場から質問があったのだけれど、それが心のどこかに引っかかってるいる。
「今後デイサービスが認知症を持つ方に必要とされるにはどうしたらいいか?」という質問。
丹野さん曰く、まず本人になにをしたいか聞くこと。それもせずに童謡を歌ったり、体操をするのはナンセンス。まわりに迷惑をかけたくないから仕方なくやってる人もいる。だから、本人に聞くこと。
今の介護・福祉の現場は「本人に聞く」ことができにくい環境になってるんかなと。ごくごく当たり前のことなんじゃない?と思えることができていないのって、なんでそうなるだろう?と考えてしまったのだ。
時間や制約があってとか、聞いてもなかなか答えが返ってこないとかなのかな。だから國分功一郎さんは欲望形成支援が必要なのでは?って提起してたのかしら。
◆◆◆
個人的に思うのは、「本人に聞けない」のは介護・福祉の現場だけでなく、この社会に生まれ育った全ての人がそうなんじゃないかなあと。
なんでそう思うかというと、坂上香監督「プリズン・サークル」という受刑者の回復を追ったドキュメンタリー映画がありまして。
観た方でこんな感想をツイッターに書いてて、本当にそうだよなと自分がまさにそうだったから。
尊厳を回復するうちに被害者や他者の気持ちを理解できるようになる。
人としての尊厳を回復した時に、初めて他者を思いやることができる。
ソーシャルコミュニティめぐりや @cafe_meguriya
過去に受けた傷つきを悲しめないままでいる。
尊厳が損なわれたままでいる。
そうであるうちは、他人のことまで考えが及ばない。
だから、聞けないんだと思う。
福祉の現場でさえ。
「本人に聞く」というそりゃそうだろうってことができていないのは、聞く側の尊厳が損なわれたままだから「聞けない」んだと思う。
自分が自分自身の傷つきに気づいてやれない・思いやれない人が、他人のことを思いやることは難しい。だから「聞けない」んだと思う。
◆◆◆
この社会に生きる人たちの多くが傷つきを悲しめないままでいるんだと思う。
ガマンすることが美徳。
泣かないことが強い・エラい。
暗く落ち込まずに明るくふるまうことを求められる。
いつ悲しめばいいのだろう。
どうして嘆く時間を奪ってしまうのだろう。
僕は思う。
「本人に聞く」そんな当たり前のことができるようになるには、聞く側が自分の傷つきに気づき、心から嘆き悲しむことが当たり前になることが必要なんじゃないかな。
人は心の底から嘆き悲しむことで自分の尊厳を回復することができるから。
人としての尊厳を回復した時に、初めて他者を思いやることができる。
そんな社会に僕は生きたい。そんな世界に僕は生きたいな。