疲れたら、ビューティフルな人生を目指すだけ
空気を吸うと、金木犀の香りを伴って、のどがひんやりする時期となった。熱気に浮かれた頭が冷えると、ふと感傷的な気持ちになる。こんなことを考えたくもなる。
「人生とはなにか」「人生の意味は」
家族や友人にでも聞いてみようものなら
「仕事は大丈夫か」
「夜はちゃんと寝れてるか」
「飯は三食くえているのか」
などと心配されそうである。
たしかに、そんなことを考えるのは哲学者か病んでいる人くらいだ。哲学者ではないとすると、病んでいるんだろうか。病んでいないとするなら、もしかしたら哲学者なのかもしれない。人生について考えただけで哲学者の肩書きをいただきました。ありがとうございます。
「ネットには回答はあっても、解答はない」なんてことを誰かが言っていたような、言っていないような。
「1+1=?」や「appleの意味は?」といったことは書いてある。だが、人生について答えるのはGoogle大先生といえども難しいらしい。
そのヒントとして、サジェストに「Googleで働きませんか?」とかいうサイトが出てくることを祈ったが、そんなに人生甘くない。
つまるところ、人生の意味は自分で決めるしかないのだ。
人の役に立つため?
自分の欲を満たすため?
生きていることに意味がある?
数多にある回答のうち、どれが解答なのか、まったく見当もつかない。そのいずれでもあるような気がするし、そこには無いような気もする。考えることすら無駄な気もする。
人生についてといえば、「何のために生まれて、何のために生きるのか」という問いに「わからないまま終わる」ことは良くないらしい。
日本人の大半はそのことを知ってはいても、深く考える暇もなく日々を過ごしているように思う。
だからこそ「なんで私こんなことしているんだっけ」と、悩んでしまうのではないだろうか。
とある日、カーステレオでラジオを流しながら夜道をドライブしていた。車通りが少なく、タイヤがアスファルトを削る音とパーソナリティーの声がよく響く深夜だった。
どんな番組だったかは忘れてしまった。だが、その曲が流れた瞬間、おお、と声がでてしまったことは覚えている。聞いたことがあるけれど、新鮮な曲だった。懐かしさがあるけれど、衝撃的なメロディーだった。
最近は気になった曲があると、Shazamに頼ってしまう。流れている曲の名前を検索できるスマホアプリだ。運転中では使用できないため、曲名を知ることを諦めようかと思った。車を止めようともした。
だが、その必要はなかった。耳に残る、キャッチーな歌詞をすぐに口ずさんでしまった。
ビューティフルに
ビューティフルに
生きて 死ぬ、ための
僕らの人生 人生!
なんだ、人生って、けっこうわかりやすいじゃないか、と腑におちた。運転中はそうでもなかったが、赤信号で止まると、ふと泣きそうになった。
そうか、美しく生きるためだけなのか。
何かを成し遂げなくてはとか、有意義な日々にしなくちゃとか、そんなことは結果でしかない。
自分がいい、と思ったものをいい、といえる。大切にしてきたサムシングを肯定できることが素晴らしいのだ。いいと思ったもの、美しいもののために生きるだけでいいのだ。
他人のために生きるのでもなく、自分のために生きるのでもない。
美しさのために生きて、結果的に他人や自分が満足するのが、いい生き方なんじゃないか、ボウズ
なんていう風に聞こえる。
哲学的な歌詞だと思う。歌詞だけを見たら伝わりづらいと思う。
だが、この曲を聞くと、なぜか不思議と歌詞の意味が伝わってくる。歌い手の熱意が胸にストレートに刺さってくる。
あなたが大切にしているものはなんだろうか。素晴らしい、美しいと思えるものはなんだろうか。成長しなきゃ、頑張らなきゃ、と走って疲れてしまったら、あなただけのサムシングを愛でながらゆっくりすごしてみてほしい。
私の場合だが、書店でふと目についたPRESIDENTの哲学特集をゆっくりよんでいる。オススメです。
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