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愛され家出娘の波乱万丈な芸者人生 | 箱根芸者物語#6
観光客が行き交う箱根湯本の商店街。
一歩奥の道をゆくとそこには歴史ある、箱根芸者衆が集う「湯本見番」がある。
見番が建ってから70年。今や令和の時代に。
何がどう変わったのだろうか。
変わりゆく時代に合わせ、伝統を守り花柳界文化を継承する「湯本見番」
知れば知るほど奥が深まる花柳界文化の世界。
ちょっとのぞいてみませんか。
・・・
今回は、家出を繰り返しながらも、箱根に戻ってきたおてんば芸者だった真昼さんです。
箱根芸能組合の役員として活躍しながら、お母様が女将を務める堀田家さんから独立して「分堀田家」の女将としても箱根の花柳界を支えています。
・・・
芸者になったきっかけ
幼い頃に母と離れていて、実の母が誰なのかずっと知らずに育ったんです。
17歳の時に再会した母は、箱根の芸者でした。
私は群馬出身で、母と再会してからも群馬で暮らしていましたが、20歳の頃に箱根に静養に来て、元気になった時、母に「アルバイトしなさい」と言われ、母のお友達がやっていたコンパニオン会社でアルバイトをはじめました。
そのうちに、母が当時働いていた池田家の女将さんに声をかけられ、始めたのがきっかけです。
初期の芸者時代
もともと無口なほうでしたし、初めはあまり楽しくなかったですね。
それと、今では誰も信じてくれないですが、アルコールアレルギーで、ビール一杯で蕁麻疹が出てしまうほどお酒は飲めなかったんです。
飲めないことをお座敷の場で言ってしまったことがあって、お客様がラーメンどんぶりにお水を入れて出されたので、開き直って飲んだところ「気に入った!」とその場は収まったのですが、お酒が飲めないことは言ってはいけないのだな、と学びましたね。
母が独立して「堀田家」になると、さらに忙しくなりました。
一年先まで予約が入っていたり、休みなく働いていました。
当時は自分のお気に入りの女の子を売れっ子にするのが好きなお客さまがいて、紙袋におかねを詰めて持ってきて、沢山伝票を付けて下さるなんてこともあったんです。
一度は離れた芸者の道
そんなお客様もいてくださったのに、ある日なんだか何もかも嫌になってしまって、軽い気持ちで群馬に帰りました。
戻ってこようとしたら家の鍵まで取り替えられて自分の家なのに帰れなくなっちゃいました。
それでそのまま24歳で辞めてしまいました。
辞めたのは5月だったのですが、母が当時の組合長から年末の売上の締め作業をした際に「真昼がいたら今だにナンバーワンだったぞ」と言われたそうです。
辞めて群馬に正式に帰ると、偶然が重なって父の4番目の妻(義理の母)も伊香保の芸者で、そこの置屋の女将さんがスカウトに来たりもしました。
その時は復帰しませんでしたが、27歳の時に伊香保でまたアルバイトとして芸者に戻りました。
ですが、忙しくてアルバイトではすまなくなり、重度の花粉症で季節の変わり目になると体調を崩して入院することを繰り返していたので、なんだか疲れて、また家出したんです。
家出癖みたいなものなんですかね、
ふらっといなくなって、連絡がつかなくなるので周りの人たちにはたくさん心配をかけていました。今は治ってますのでご安心ください(笑)
箱根に戻ってから独立まで
箱根に戻ってきても、芸者に復帰するつもりはなかったのですが、
伊香保で働いてた頃のお客さまが来てくれたりしたので、置屋に無登録でお座敷に出るわけにもいかず、また始めることにしました。
お座敷も忙しい中、お稽古にも通い、踊り以外には三味線も3ヶ月くらいやりましたが、続かなかったです。
私は最初は一生懸命やるからか、お師匠さんに「筋かいいね」と褒められるのですが、最低限の事が出来るようになると、また別のことに手を出したりして、ひとつの事を極めるタイプではないみたいです。
そんな中バブルが弾けて、仕事が少ない時期が続きました。こういう時期は置屋で待機になるんです。予約が入ったらお座敷に出れるのですが、自分のペースで自由には働けないんですよね。
そこで「自分のペースで外に出て、やっていこう」と独立を決意しました。もともと母とはけっこう似ているところがあって、似ているとかえってうまくいかないことがあるな、とも感じていました。
自分の置屋を持つと、自分のペースで全て進めれるので気が楽になりましたね。女の子の採用もはじめは苦戦しましたが、人って面と向かって話すと見えるものってあるじゃないですか。
そういうフィーリングを大事にして採用はしてきましたね。
これからのこと
今、ガイアックスさんなどと新しいことをどんどんやってるのはとても良いの事なのですが、役員たちと置屋との間に温度差があるなと感じてます。
もっとその差が埋まっていき、箱根の花柳界全体がひとつになっていきたいです。少しずつですが、変わっていけると思います。