meetALIVE vol.40 記念企画〜 教養としてのプロレス 〜
「プロレスを見ることは、生きる知恵を学ぶことである」
時に西暦2022年、世界は深刻な危機の真っただ中にあり、一人ひとりが「人生」や「生き方」について考えを改め、全力で前進させる時期にあるのではないでしょうか。
そこで、今回のmeetALIVEのテーマは「プロレス」です。
今の時代を生き抜くために必要不可欠な要素がプロレス的「モノの見方」であり、「プロレス脳」であるということを皆さんに強くお伝えします!
今回はゲストに、「時事芸人」であるプチ鹿島さんを迎え、人生という四角いジャングルを生きるためのプロレス脳を生かした思考法の数々を伝授していただきました。
「時事芸人」らしく最近の話題からいきましょう。牛丼チェーン吉野家幹部の「シャブ漬け」という発言が取り上げられていましたね。発言した方は、「ちょっと面白くしてやろう」と思って使っているのでしょうが「シャブ漬け」なんて専門外の言葉でしょう?
その言葉の持つ重さを知らずに使っている。私がなぜそう思うかと言えば、ネットスラングでしかない「プロレス用語」を平気で使う人をよく見かけるからです。現場で取材する人に確認してもそんな言葉は聞いたことがないという。粋がりたいのでしょうけどそういう言葉を平気で使う態度は恥ずかしいと思ってしまうんですよね。
小学生の頃から40年以上プロレスを見てきましたが、あのアントニオ猪木さんが引退のときに、「いまだにプロレスがわからない」と言ったぐらいですから。見れば見るほどわからない。だからこそ、知りたくなって、一生懸命見つめます。
子どもの頃によくやっていたのは、試合で起こったトラブルとか、なぜあのレスラーは移籍してしまったのかとか、そういうことを知りたくて新聞や週刊誌を一生懸命読んでいました。そんなことをしていると、「あれ、この情報は怪しいからまだ一人だけで楽しんでいたほうがいいな」「まだ、人には話さないほうがいいな」となってきます。 これって、いわゆる「リテラシー」と同じだったのかなと思います。
そもそも、当時のプロレス情報はゴシップ情報も多かった。試合レポも主観で書かれたものが多く、それが面白かった。だから当時のプロレスファンは「情報の楽しみ方」には強いのだと思います。
私は新聞の読み比べが好きなのですが、なぜ好きかというと、同じ出来事やニュースでも、新聞各紙で切り口が全く違うからなんです。どこから見るかで、捉え方がまるで違うところが面白いですね。これは、プロレスも同じ。当時のプロレスの週刊誌やマスコミって、同じ試合でも全く別のことを書いていました。それは、団体とのしがらみ、記者とレスラーとの付き合い方、記者のその日の気分など、いろいろな要素が集まって記事ができているから。だったら、どちらかだけ読むのではなく、どちらも読めばいい。双方の言い分を聞いて、自分の意見を決めればいいと思ったのです。
いろいろな情報を見たり、聞いたり、読んだりしても、真実は必ずしもわかりません。自分が真実と思っているものは「いろいろな情報を得た上での自分の真実らしきもの」ということを自覚しておくことが大事です。
最近のドラマで「伏線回収」という言葉をよく聞きます。最終回に向かって伏線が回収されて、パズルのピースがカチッとハマっていくのは、たしかに見ていて気持ちがいい。ところが、プロレスは伏線回収なんて、ほぼなかったんですよ。もう、やりっぱなしで、観客を怒らせておしまい。それで暴動になったこともありました。
1987年の古舘伊知郎さんのワールドプロレス実況最後の日。アントニオ猪木VSマサ斎藤、プロレスファンにとっては正座をして見なくちゃいけない一戦。古舘さんは、この試合をきれいに飾って「みなさん、さようなら〜」で終わると誰もが思っていました。そしたら、「海賊男」っていう、ホッケーマスクを被った謎の覆面レスラーが乱入してきて、マサさんに手錠を掛けて連れ去ってしまったんです。それで、試合がよくわからなくなって、収拾がつかなくなって、大阪城ホールで暴動が起きました。
観客はもう、腹しか立たない。「なんでこんなビッグマッチをよくわからない不透明な終わり方にするんだ!」「古舘さんの最終回を汚すなんて信じられない。いいかげんにしろ!」って観客が怒った。でも、こんなに観客が怒っているのに、それで終わりなんです。伏線回収なんて全くしない。 あのころの騒動とか、事件とか思い出すと、ただ腸が煮えくり返るだけ。でも、ずっと覚えていて、当時の仲間と集まると「あれは、ひどかったよね〜」なんて言いながら、一晩中盛り上がってしまう。
つまり、伏線回収なんて全くできていなかったけど、じゃあ、できていないものに対して、無駄だって切り捨てたらいいのかっていうと、意外と無駄なものほど感情が長持ちして、今でも話しをすることができるんです。
それから約30年後、マサさんが歳をとってパーキンソン病という大病を患って、ほとんど歩けない状態になってしまって。マサさんを激励する興行が大阪で行われました。
マサさんは車椅子で、ほぼ立てない状態のなか、やっとリングに立って「みなさん、ありがとう」って声を絞り出して言っていました。そこに、なんとまた海賊男が乱入してくるわけですよ。「えーっ!また試合をぶち壊すのか?」と思っていたら、海賊男がマサさんに殴りかかったんです。そのとき、動けない、立てないマサさんが反撃のパンチを繰り出したんですよ。もう、会場は感動しちゃって“マサコール“。プロレスラーは本能で動いていますから、どんなに蝕まれていても相手が殴ってきたら攻撃してしまう。そういう奇跡の瞬間を見ることができました。
これは、伏線回収ではありません。30年前にここで回収することなんて誰も考えていない。だから、きれいなオチを最初から求めなくてもいいんです。その時々で、喜怒哀楽を大切にしていれば、たまにこういう回収らしきことがご褒美として起こります。
みなさん、お仕事忙しいでしょうし、時間に追われる日々をお過ごしかと思います。そのなかで、「無駄な時間を過ごしたくない」という気持ちはよくわかります。でも、人の心を動かすものっていうのは、時としてめんどくさいものだったりします。腹の底から怒るようなことに、自分が出会っても、それは決して無駄なことではないと思える余裕を持った方がいいんじゃないかなと思います。
プロレスは、「興行」という一面もある。プロ野球もそう。「プロ」と名のつくものは全て興行です。お客さんに足を運んでもらって、また、見に行きたいと思わせてナンボ。それがプロレスには詰まっています。
最近、プロレスから学んで嬉しかった話しをします。『なぜ君は総理大臣になれないのか』(以下、『なぜ君』)という大島新監督のドキュメンタリー映画があります。
選挙区の香川1区に小川淳也さんと平井卓也さんという候補者がいて、どちらもキャラが立っていた。 『なぜ君』のときは平井さんが当選したのですが、昨年、衆議院解散総選挙がありました。『なぜ君』を見た人は、「香川1区は今度はどうなるんだろう」と気になってしょうがないわけです。その後すぐに、大島監督が小川さん平井さんに密着して『香川1区』という映画を作ったんです。
私も、『なぜ君』を見てから、香川1区が気になってしまって、実は去年の選挙のときに、香川県まで行ったんですよ。次はどっちが勝つのだろうとか、どんなハプニングが起こるのだろうとか、それを自分の目で見たくなってしまったんです。
そのとき、これはプロレスの「密航」と同じだなと思いました。密航というのは、例えば、東京に住んでいて、札幌でどうしても見たいカードがあったら、リュックひとつで鈍行や深夜バスに乗ってでも現地まで行く。そうすると自分は歴史の目撃者になれるっていう楽しみ方があるんです。これを、90年代の週刊プロレスが密航と呼んでいて、香川1区に行ったときも「あぁ、これは密航だなぁ」と思いましたね。
その後、ありがたいことに大島監督とトークショウができる機会をいただいて。楽屋で大島監督と話しをしているときに、「『なぜ君』のあとすぐに『香川1区』を作って、フットワークが軽いですね。ああいうのを見ると、次が見たくなってしまうんですよね」と言うと、大島監督がニヤリと笑って「鹿島さん、実は僕もプロレスファンなんです」と言ったんです。
つまり、「次どうなるんだ」「これはお金を貯めてでも見に行かなければいけない」というトキメキを大島監督もプロレスで味わっていたんです。だから、今回の香川1区の決戦をもう1回ドキュメントで撮った方がいいんじゃないかと思った。そういうことみたいです。
ドキュメンタリー映画って、中立公正といったイメージがありませんか? カメラの前のものを淡々と撮ったものがドキュメンタリーみたいな。でも、大島監督は、自分も画面に出てきたり、自分でナレーションを入れたりしています。あれはどういう意味なのかを尋ねると、「何十時間も取材した膨大な量の素材を2時間にまとめる時点で、監督の解釈、メッセージが入っている。私は自分が前に出ることで『これは私の解釈です』ということを伝えたかった」とのこと。これを聞いたときに、この人はすごくフェアな人だと思いました。
SNSとかで、自分の意見を通したくて事実を曲げる人がいますよね。それは、やっぱりダメで、事実は公正に出す。フェアでありながら、自分がこうだと思うものを作っていく。いいんですよ、中立を目指すのではなくフェアであれば。熱いものやリアルな感情をどのように打ち込んでいくかがプロレスの魅力でもあると思うのですが、これはどんな仕事でも同じだと思うんですよね。
僕が子どもの頃のプロレスって、テレビのゴールデンタイムで放送されていたからみんな知っていました。一方で、プロレスに愛のない大人たち、たとえば学校の先生とかは「あんなのインチキだからな」と平気でバッサリ切り捨てていました。それで、僕は「自分は大人たちが馬鹿にするようなものを一生懸命見ているのか」と、随分悩んだ時期がありました。「プロレスって、みんながそんなに言うほど、見る価値のないものなのか」と思って傷つきました。
でも、そう思いながら、金曜日8時にテレビをつけてアントニオ猪木の試合を見ると、めちゃくちゃ感動して、心を揺さぶられるわけです。ここから、半分信じて、半分疑うぐらいの精神状態が、一番ワクワクするなっていうことを学びましたね。
これって、今の時代にも応用できると思うんです。すぐに答えを出さなきゃいけないような空気があるじゃないですか。SNSとか、特に社会問題や政治問題なんかだとそう。でも、迷ったっていいんです。悩んで、立ち止まって、頭を捻って、いろいろな人の意見を聞いて調べてみる。タメの時間が必要なんです。「半信半疑」という考え方には、今も救われています。熟考する大切さですね。
30年、40年プロレスを見ていたら、「最近プロレス見始めたの?ふーん」って講釈したくなるのですが、それは、絶対やめたほうがいい。今好きになった人には、今好きになった人の見方があります。
これは、価値観の多様性にもつながる話しなのですが、昨年ぐらいから一緒にプロレスを見に行く新しい仲間ができまして、このあいだ連れて行ってもらったのがインディーの試合でした。それで、試合後にご飯を食べに行って、「そもそも、なんでプロレスを好きになったの?」と聞いてみたんです。そしたら、「強さには興味がない。プロレスをやらざるを得ない人に興味がある。そういう人を見ているのが楽しい」って言うんですよ。こういう価値観があることにびっくりしましたね。
でも、確かにそうだなと思ったのが、自分はこれをせざるを得ない人っていうのは、人として面白いじゃないですか。文章でいうならコラムニストになりたくてなった人よりも、何かに突き動かされて書かざるを得ない人の文章の方が面白い。プロレスは10人いれば、10人の見方がある。正解がなく、間違いがないところが、プロレスのいいところなんです。
私が2014年に出した本に、こんな表現がありました。「おかまレスラーはなぜ面白いのか?」。この「おかま」という表現は、今読むとギョッとしますよね。自分でも過去にこんな表現を使っていたのかと思いました。
昭和プロレスのファンは、「あの頃はよかったけど、今のプロレスは…」とか言いがち。でも、あの頃があったから、今のプロレスがあるわけで、最近知り合ったファンからも「強さは関係ない、人に興味があるんだ」という新しい価値観を学ぶことができました。だから、日々成長していかなければいけないと、本当にプロレスから学んでいます。
おじさんアップデート問題って、本当に重要だなと思っていて。僕と同世代の方は自分の若い頃にひとつも後ろめたいことをしてこなかったと言えますか? 人を傷つけたり、差別や偏見を持った発言をしたりしたことはありませんか? 誰しも心に覚えがあるのではないでしょうか。
これからもそういう自分でいいんだと開き直るのは駄目だと思う。ずっと成功してきて、地位やお金もある人が、「その価値観間違っていますよ」って言われたら、「いやいや、俺は今までこれでやってきたんだから、お前なに言っているんだ」と。
そう言いたい気持ちも少しわかるのですが、でも、やっぱり、昨日までは自分もそうだったけど、今日から変わろうと思えるか。それができるのが生き残れるおじさんであり、そこがアップデートの分岐点だと思います。全く後ろめたいことがない、おじさんやおばさんはいません。ならば、今日から変わろうと思えるかどうかです。「自分もひどかったなぁ」と自分から始まるのが、おじさんのアップデートだとプロレスを見てきたからこそ思います。
…
ライター 國分 聡 @uraraka_sato
meetALIVE プロデューサー 森脇匡紀 @moriwaking
meetALIVE コミュニティマネージャー 小倉一葉 @osake1st
meetALIVEとは…
meetALIVEのFacebookグループ
イベントに参加された方は、どなたでもジョインできます。(参加申請必要です。)学び合いと交流を目的とし、過去に開催したイベント動画も閲覧可能なコミュニティグループです。もちろん、今回のセッションの動画も閲覧出来ます。
meetALIVEのTwitter
今後開催予定のイベントの告知や、イベント時の実況中継を行います。
meetALIVEのPeatix
直近で開催予定のイベントを確認し、申し込みできます。