【自己理解】自分の生きる意味=死ぬまで幸せであり続けること。
土曜日の夜、コーヒーを飲みながらゆっくりと自分の心と向き合う。
なんと言う贅沢な時間だろうか。優雅なひと時。
幸せとは環境ではなく、心の有り様とは、よく言ったものだ。
物事の捉え方次第でいくらでも幸福になったり、不幸になったりする。
今まで自分は、あえて不幸を選び続けてきたのだ。
なんのために?
なぜなら、不幸な人の気持ちを知るためだ。
知らないことがあるのは我慢ならなかった。若気の至りだ。
不幸な人の気持ちはわかったが、不幸な人はある意味自分に酔っている。自分が「悲劇のヒロイン」だと言うように考えている。だから抜け出せない。抜け出そうとしない。気持ちよいのである。自分が不幸な状態の人はただ不幸なことに、この事実に気づけていない。
私は気付き、抜け出すことができた。
これは大きな学びであった。
もう二度と足を突っ込まないようにしようと誓った。
人生、地獄も天国も経験しておかないと、せっかく生まれてきた意味がない。だから結果的に良い経験をした。
若いうちに地獄は味わった。
とことん地獄は味わった。もう十分だ。
あとは天国だけでいい。
天国を味わえるかどうかは、自分次第だと言うことがわかった。
自分の思考次第で、いくらでも天国にフォーカスできる。
だから、これから先何が起ころうとも幸せしか待ち受けていない。
じゃあ死ぬまでに何をしようか。
地獄がないとしたら、それは果たして人生を堪能しているといえるのだろうか。
映画での戦闘シーンがあるように、ハラハラシーンがあるように、人生にも何かそういったようなシーンが必要なのではないか。試練が必要なのではないか。
これから先、ずっと幸せなら試練などないではないか。
つまらない人生になってしまうのではないか。
いや違う。
死ぬまで自分が幸福に生きる。それはいくら思考次第だと言っていても、一生懸命に生きていれば壁にはぶつかる。しかしその度に幸せな道を歩むために軌道修正し続ける。
それが自分の挑戦である。
幸せに生きるためには、時に戦わねばならぬ時が出てくる。
そこで「戦いながら幸せな状態を保つ」が自分への挑戦なんだ。
自分が幸せになるためには多少強引になってもいい。わがままになってもいい。
自分が幸せになれないと、周りも幸せになれない。
自分が幸せでないと幸せオーラを発散できないんだ。
まず自分が幸せになる。
わがままになる勇気を持つ。
自分の要求を主張する勇気を持つ。
要求を飲ませる強引さを持つ。
それが自分の課題、そして人生の挑戦。
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