「この人はエビのしっぽを食べる人だ」と思って結婚した話。
2022年になって早数ヶ月、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私といえば去年本厄でしたが、無事本厄の年も過ぎ、私事ですが年明けてすぐには入籍もしました。(これを書き始めたのが1月末頃だったのに気づいたら3ヶ月も経ってました…時の流れと私のサボり癖…)
しばらく経った今でも正直「ほんとに結婚したのかー」という気持ちです。
(しかし各所で名前の変更したり、いざ呼ばれた時が新姓なのでそこでの実感が一番強かったり…)
ちなみに私は元々そこまで結婚したい派ではありませんでした。
1人行動も全然苦じゃないし、なんなら赤の他人と一緒に住むとかどうしたらいいのかわからないレベルでした。
1人映画、1人旅行、1人カフェ、1人ラーメン、1人カラオケ……などなど、1人○○と呼ばれるものは大抵経験してきた気がします。(唯一できなかったのは1人ディズニーくらいかも?
元々自由にしていたいタイプでもあるので、休みの日や仕事終わりも、1人でふらっと無計画に散歩やランニングをしたりすることもしばしば。
その上寂しいと思うことはほとんどなく、むしろストレスフリーなおひとりさまライフを楽しんでいました。
とはいえ30代になり、周りも結婚・出産していく中で現実的に「一生1人で生きていくのか?」を考えるように。。
特に私は一人っ子なので、現実的にこのまま1人だとほんとにずっと1人です。
兄弟がいればまだしも、このままでは仲の良い独身の女友達同士でマンションにそれぞれ部屋を借りて住んだほうがいいんじゃないだろうか……とまで妄想(?)しました。
なんとなくぼんやりとながら、『死ぬときは孫たち(複数)に囲まれながら死んでいくのかなぁ』とか考えながらも、現実はその端っこにも立ててないわけで。
そうするとやはり現実的には結婚はしておくべきか…。いやでも義務感に駆られるのとはまたちがうような…。
と堂々巡りの日々。
今回はそんな私がどういう経緯で結婚しようと思えたのか、振り返りも兼ねて記録していきます。
同時に私と同じ境遇の人にも少しは励みになるかなあとぼんやり思っています。
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最初に書いておきたいのは、私は世間一般的にいう「恋愛至上主義」ではないです。
別に1人で生きていけるなら全然1人でもいいと思うし、彼氏・彼女がいないからどうこう、とかは全く何も思っていません。
先に書いたように、私自身も基本的に1人行動が好きで、相手がいなかった時の方が長いかもしれません。でも別にそれを不幸とか、悲しいとかは思ったことはありませんでした。
だからこそ『1人でいるときよりも、さらに自分のプラスになれる人と一緒にいること』と『男女差なく、1人の人として対等に接することができる人』に出逢えればその先に結婚という選択肢もあるかな、くらいに考えていました。
また、私は子供が欲しいと強く思ったこともそれほどなく(友達の子供は可愛いと思うけれど、人1人育てる責任を負うかどうかはまた別の話)料理も得意な方じゃないから「まあ必要最低限はやるけど、全部私がやるとか思われるのは癪だな」くらいに思ってました(笑)
そんな私が出した理想プランは以下の2つ!
・(多分)専業主婦は向いてないから、結婚したとしても何かしら社会に関わっていたい(主に在宅ワークとか)
・ただフルタイムで働きながら家と仕事を完璧にこなすことは最初から自分の性格上無理なので、家のことはお互い分担していきたい
……と振り返るとまあ絵に描いたようないいとこ取りなことばかりですね(笑)
ただ私の性格上、相手のためを思って(無意識に)頑張りすぎた結果、ある日突然プツンと何かが切れることも十分あり得るので(笑)、最初から無理だと思うことは無理だと断言してしまうのも、自分を生きやすくする1つの知恵かなと思いました。
こういう風に考えられるようになったのも30代になってからかもしれません。
と言うことで、最終的には『(家と仕事のことを考えた場合)1人の人として対等でいないと絶対に辛くなる。だから私は"人として"好きを一番重視しよう』と決めて、恋愛云々より人ベースで考えることにしました。
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ちなみに私がここまでフラットに考えられるのは、父と母の影響がやはり大きいと思います。
昔、ふとした時に母から「私とお父さん(私の父)は戦友だから」と聞いたことがありました。
その話を聞いたのは私がまだ社会人になりたての頃で、細かい話はおぼろげなのですが、若いながらにその一言は自分が思っていた以上に強く心に残りました。
お互い好きになったといえども、人生100年時代。
確かに20代で結婚したら、長いと残り80年近くは一緒にいるわけで。
「恋愛のドキドキ感は3年で終わると言われているけど、そしたら残り77年はどう過ごしたらいいんだろう?」とよく20代の頃は考えていました(笑)
でもその問いの答えは母の「戦友」という言葉が一番しっくりきた気がしたのです。
長い人生一緒に歩んでいくのだから、きっといろんなことがあるのだろう。
2人して仕事バリバリしている時もあれば、時には片方が仕事ができなくなってしまうこともあるかもしれないし、もしかしたらどちらかが事故や病気になってしまうかもしれない。
もしかしたら何かのきっかけでバラバラに過ごすことになってしまうかもしれないし、周りの人間関係とかに悩まされて喧嘩ばかりかもしれない。
よく結婚式の教会で牧師さんが話している「病めるときも、健やかなるときも」ってそういうことを言っているんだろうな、とそこで初めてぼんやりながらも意味がわかったような気がしました。
たぶんこの頃から、私は心のどこかで『結婚するなら戦友になれる人』と決めていたのだと思います。
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そんなある日、まだ付き合い初めてから日も浅かった今の夫と一緒に出かけたときのこと。
この日は寒い日で何か温かいものが食べたくてふらっと2人で近くにあったお蕎麦屋さんに入りました。
私は普通のかけ蕎麦で、彼がエビが乗った天ぷら蕎麦を注文。
『お、エビだ。』
出掛けた先でエビ付きのご飯を頼む時、私が毎回考えてしまうこと。
それは『エビの尻尾を食べるのか問題』。
結論からいうと私は食べる派です。
ただ、私は食べる派ながら、まだ知り合って浅かったり、好きな人の前では少し躊躇ってしまうことがあるのです。
いわゆる空気を読んでしまうというか。
それはきっと「え、そんなの食べるの!?」というリアクションがちょっと怖いからだと思います。
別にカルシウムだし、普通に食べるでしょ?というスタンスは変わらないのですが、なんかやっぱり心から気を許している人の前以外で食べるのは一瞬躊躇ってしまうエビの尻尾。
別にエビの尻尾が悪いわけじゃないし、食べないのもその人の自由です。
ただ喉に引っかかった小魚の骨のように気になるのは、「私はエビの尻尾を食べます!」という宣言?が出来ない自分自身の心の弱さ。
心の弱さ、とか書いていると、なんか凄い大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私にとっては地味にずっと心に引っかかっているエビの尻尾問題だったのです。
たかがエビの尻尾。されどエビの尻尾。
そんなことを脳の裏側で考えながら普通にはふはふしながら蕎麦を食べていると、次の瞬間、彼は何もためらわず、エビの尻尾ごと口に運んで食べていました。
『えっ』
『そんな躊躇わずに、食べちゃうの?』
なんだかずっと私の喉に刺さっていた小さな小魚の骨まで丸ごと飲み込まれていったような気がしました。
これまでの私のうじうじ悩んでいたことはなんだったのか。
狐につままれたとはこのことか。(大袈裟)
そんな風に私がまたぐるぐる思考を巡らせている間にも、彼の蕎麦はもう終わりが近づいていたので私も慌てて自分の蕎麦を口に運びました。
蕎麦を食べ終えて、汁まで綺麗になくなっている彼のどんぶりを見ながら、
「エビの尻尾食べる派?」
と聞いたら彼はなんともないように
「え、だってカルシウムじゃん。」
と返ってきました。
その時、『あぁ、やっぱり私の悩みは杞憂だったのかもしれない。』と気付きました。
私も誰かに同じことを聞かれたら、同じように返したらいいだけなのに、何を悩んでいたんだろう。
エビの尻尾を食べたかったら食べたらいいだけなのに。
それで何か自分が思わぬ反応が返ってきてもなんともなしに「カルシウムじゃん」って答えたらいいだけなのに。
それで他人になんと思われても、別に大したことじゃないのに。
その時ふと『ああ、この人となら一緒にいても大丈夫かもなあ』とぼんやり感じたのです。
私の性格上、エビの尻尾以上にうじうじしたり、悩んだり迷ったり辛かったりすることが多々あります。
けれど、きっとそのたび彼はそんな私の問題を「なんでもない」ことのように飲み込んでくれるような、そんな気がしました。
もちろん彼が悩んでいるときに私があっさり「それ○○じゃん」と返すこともあるかもしれません。
でもそうやってお互い補い合って生きていくのが、数年前私が聞いた『戦友になれる人』なのかもしれないな、と直感的に感じました。
*
結婚して早数ヶ月経ちました。
一緒に住み始めたのが先だったため、暮らしを共にしてから半年以上は経っており、特に変わらずお互いに仕事や日常に追われて日々を過ごしています。
それでもこれまで結婚した友人たちから「意外と一緒にいる時間は少ない」と言う言葉通り、お互いの生活サイクルが少しずれている&夫が土日休みではないため、なかなか2人でゆっくりする時間が取れません。
でも1人時間が好きな私にはこれくらいがちょうど良いときもあり、1人時間を有効に使うために常にやりたいことリストをリストアップしています(ちなみにこのnoteも1人時間に書いています)
2人でいる時間も大切だけど、1人の時間も同じくらい、大切。
お互い共に人生を生きる「戦友」として私たちはまだ歩み始めたばかりなのです。
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