不登校からの、私は最強?
いま中学1年生になった娘が小4のとき、クラスのたった一人の女の子からアイコンタクトで無視をされるというちょとした事件が起きた。
仲のよいお友だちもたくさんいて、きっと大丈夫だろうと見守るうちに、3日学校へ行っては1日休み、2日行っては1日休み、そのうち行けなくなってしまった。
たまたま弟くんが小学校に上がるタイミング。
同じ公立小へ入れることへの躊躇から、すぐ近くにあった、教科書を使わない時間割もないちょっと変わった学校に、息子くんのための見学のつもりで不登校になっていた娘と訪れたら、「学校へ行っていないのなら、あなたうちに来たらいいじゃない?」のひとことで転校することに。
転校した学校は、多様性のるつぼで、社会の不条理も不合理も全部突っ込んだカオスというよりコンフューズ。
この学校での経験以来、「イーロン・マスクのような天才型カリスマのトップ率いる組織が、その天才性を殺すことなく生かし切ることができ、かつ、周囲に屍を積み上げることなく、双方ハッピーに存在することは可能か?」は私のテーマの一つになったのだけれど、米津玄師さんの感電をテーマソングに娘と毎日哲学すること約2年。
「ばあばの家から近くの公立小に通いたい」というひと言を発してくれたのは娘だった。小6の夏に転校するという大きな決断。彼女は、それぞれの痛みを抱えながら、コンフューズをともにサバイバルする仲間たちのことが大好きだった。
いま思えば、彼女からのSOSではなく、母親の私こそがSOS、かつ、小2になっていた弟くんのために適切な環境ではないと、大人な判断をした娘の配慮だったのだとわかる。
それぞれの正しさのそれぞれの正しさの前に、こちらの目線に立てばその正しさに、あちらの目線に立てばその正しさに、どちらにも立てずに途方に暮れている母親に、娘が出してくれた助け舟。
結果、寮のある高校に入るタイミングで一度出た故郷に、約30年ぶりくらいにメインの生活拠点を移すことになった。
家の階段を昇ろうとして、「お母さんは下で待ってて」という娘が何をするのかと思えば、一番上まで昇って、冒頭の写真のポーズ。
「何それ?」と聞くと、
はい、ほんと、最強で最高。
母親になるなんて一番人生で縁遠いことと私自身も周囲も思っていたから、いまだに母親になれたことにびっくりし続けているし、
あなたたちの母親になれたことでもう人生これでいいんじゃないかと満足しそうになってしまうけれど、最強で最高な人の母として恥じぬ人生を送らなくっちゃならないから、まだ満足している場合では、多分、ない。