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9月3日(水)メディア日記

 戦争というものはプロパガンダ作戦でいかに狂気と熱狂で国民を扇動し、戦争に駆り立てていくかを2日夜放送のNHKの「映像の世紀」がリアルにまとめ上げた。同番組はこのテーマで8月26日に太平洋戦争の日米プロパガンダ作戦を放送しているが、この日の放送は、フェイク、炎上商法、陰謀論を駆使、弱小政党だったナチ党を政権の座に押し上げたヨーゼス・ゲッベルス宣伝相の戦慄の記録だった。ナチの敗北が濃厚となった1943年2月、ゲッベルスはラジオや映画を駆使し、国民をあおり、死の淵へと駆り立てる総力戦演説を決行した。「諸君に問う。勝利を得るため、ヒットラー総統に従っていく決意はあるか?苦難を共にする覚悟はあるか?」。その言葉に熱狂し、実に100万人以上の民間人が総力戦で命を落とした。スケールは違うが、太平洋戦争末期、大本営放送で多くの国民を死に追いやった日本軍首脳のプロパガンダ作戦に酷似している。番組は最後にゲッベルスと妻マグダの間に生まれた1男5女の6人の子どもが両親によって殺害された映像が流れた。直後にゲッベルス夫妻は自殺した。

 1941年12月、日米開戦と同時に、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の収容施設は比較的多く報じられているが、戦時中、日本に暮らす米国や英国など連合国側の住民が全国の施設に収容された詳細な事実はあまり知られていない。とくに女性が収容された事実はほとんど知られていない。3日付けの東京新聞は、論説委員の佐藤直子がこの実態を明らかにした。同記事によると、18~70歳前後の男性が全国の施設に収容された18~70歳前後の男性は、名目はスパイ防止や身柄の保護目的で、開戦時に全国で約30カ所だった収容所は終戦までに延べ約60カ所に増え、延べ約1200人が収容され、そのうち50人が死亡している。実は女性も収容されていた。この問題を追跡調査している日本人女性は、日本に滞在していた米国人女性が、日米開戦日から特高の監視下に置かれ、後に収容された事実を知り、民間人収容の問題を調べ始めたという。
 地元横浜にあった神奈川第1、第2抑留所には、全国最多の計93人が収容され、43年に横浜から70キロ離れた旧北足柄村内山(現・南足柄市)の山荘に移転。53人が移されたが、過酷な生活で栄養失調になるなどして5人が死亡した。この収容所には貿易商など横浜の外国人社会の中心にいた人が多かった。遺族の出羽仁(71)の祖父と父は英国籍の日本育ち。妻や母親は日本人だ。父は医学生だった22歳のときに収容され、日本を愛した青年の苦悩を日記に書いていたことが死後判明した。これは2021年、「英国人青年の抑留日記」として出版された。このように戦後80年に迫る今も、埋もれた記憶が市井の人の力で掘り起こされている。
 しかし、肝心の加害国日本政府の態度は冷たい。敵国軍人でもない民間人を収容したにもかかわらず、米国などのように謝罪をしていない。記事は「強制収容所が過去の問題ではなく、現在進行形の問題だからではないか」と疑問をぶつけた。

 鹿児島県奄美大島で駆除を進めてきた特定外来生物マングースについて、環境省は3日、奄美大島市で記者会見を開き「根絶宣言」を発表した。朝日新聞デジタルは速報扱いで報じた。ハブ対策などの目的で持ち込まれて約半世紀。いったん定着したマングースがこれほど大きな島で根絶されたことはなく、「世界的に前例のない生物多様性保全上の重要な成果」と環境省の局長は自画自賛した。環境省などによると、奄美大島のマングースは、1979年ごろに、先に導入されていた沖縄から持ち込まれた。だが、島内で繁殖してアマミノクロウサギなど希少な野生動物を襲っていることがわかり、国が2000年度から駆除を本格化した。人間がハブ退治と称して、勝手に奄美大島にマングースを持ち込み、増えたからと言って今度は全滅作戦、気の毒なのはマングースだ。

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