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「欲しい」の正体とは? ケンリックの欲求のピラミッド

こんにちは。達川幸弘です。

今はCAMPFIREという会社でマーケティングをしたり、ほそぼそと個人でも企業のマーケティングのお手伝いをしていたりします。

マーケティングと進化心理学をつなげるブログという実験的な試みをしております。

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みなさんは、「マズローの5大欲求」というのを耳にしたことがあるでしょうか? 自己実現理論の別称として有名なこの理論。

マーケティングを勉強するプロセスで以下のような図を見たことがある方もいるのではないでしょうか。

マズローの欲求5段階説のピラミッド

アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。

出典:Wikipedia

きっと多くのマーケターが人間の欲求を理解すべしと、この欲求のピラミッドとにらめっこをしたはずです。

しかし、この欲求の構造に異を唱える人がいます。それが、ダグラス=ケンリックという進化心理学の権威です。

このケンリックのピラミッドはどのようなものなのでしょうか?また、なぜマズローのピラミッドでは駄目なのでしょうか?

なぜケンリックは「マズローの5大欲求」を再構築する必要があったのか?

ケンリックが欲求のピラミッドを再構築するにあったって突きつけた問題提議は「生物学的観点」の欠落です。

マズローの欲求のピラミッドは、人間の欲求が一定の階層構造を持つという観点から捉えています。その各階層が具体的な行動や思考の動機となると考えられています。しかし、ケンリックは、その奥側にある生物の根幹となる欲求が、階層構造ではなく重ね合わせで存在し人々の振る舞いを決定する本来の「欲求」と呼ぶべきものであると考えたのです。

では、その違いを見てみましょう。

ケンリックの欲求のピラミッドとは、どのようなものか?

ケンリックは欲求を7つの下位自己に分解し、再構築しました。

以下で1つづつ解説していきますが、重要なポイントは「ヒトは生物」であり、「個体の存続」こそが生物の本質であり、その目的達成に優位な形で欲求が構成されているという考えがベースになっていることです。

ここで重要なのは、「種の存続」ではなく「個体の存続」を重要視しており、「種の存続」は「個体の存続」のための手段であると捉えていることです。

つまり、山田さんであれば山田という種の、田中さんであれば田中という種を如何にして残していくかを最も重要視するということです。

地球の為、社会の為という一見すると利他的な動機は、個体の存続のための手段なのです。

ですので、自分の遺伝子を残し、これから先も個体の存続がなされるための最適な選択を行うために進化の過程で長い時間をかけて構築されてきた心の振る舞いこそが「欲求」であるという考えが、ケンリックの主張です。

元となっている論文は以下です。


では、具体的にどのような構成になっているか解説していきます。

7つの下位自己

ケンリックの欲求ピラミッド
  1. 子育て

  2. 配偶者の維持

  3. 配偶者の獲得

  4. 地位・承認

  5. 提携

  6. 自己防衛

  7. 差し迫った生理的欲求

マズローとの大きな違いは以下です。

  • 生殖に関連する目標(配偶者の獲得、配偶者の維持、子育て)をピラミッドの上部に追加する。

  • 早期に発達する目標システムが完全に置き換えられるのではなく、後期に発達する目標システムと重なるように、目標を重ねて表現する。

  • 自己実現をピラミッドから除外し、自尊(ステータス)や生殖に関連する目標の一部とみなす。

つまりこれらの欲求は、階層構造ではなく重ね合わせで並存するという主張です。

では、細かく一つづつ解説していきます。

1.子育て

これ以下の欲求は、個体の種を存続させる選択を行うために心に搭載された「欲」というものを重ね合わせで表現したものですが、そのピラミッドの最上位に位置するのが「子育て」の欲求です。

生活史理論に基づくと、個体は生存、成長、そして繁殖にエネルギーを配分します。この観点から、「子育て」は親が子供の成長と発達を支援するためにエネルギーを投資する行為と考えることができます。

ですので、マーケターとしては「子供のために」という欲求を刺激することは、ある意味高い効果が期待できる訴求であると言えます。

たとえば、当時USJのCMOだった森岡毅さんがディレクションしたと思われる、以下のCMを御覧ください。

「クリスマスイベント」「ツリーが今年で最後」という要素がありながら、ストーリーの主軸は「子供の成長を見守る親心を刺激」するものとなっています。

更に深ぼると、「子育て」は親が子供の身体的、社会的、そして心理的な健康を維持し、子供が社会の一員として成長していくためのスキルと知識を獲得できるようにするための行為です。

その社会性・心理的な健康を提供できる場であるという主張が、子供の成長と発達を支援するための投資へと向かわせるのです。

2.配偶者の維持

配偶者の維持とは、一度獲得した配偶者を確保し、競争相手から守るための動機づけのことです。配偶者の維持は、生殖努力の一部であり、配偶者の獲得や子育てと並んで、人間の基本的な動機づけの一つです。

配偶者と有効な関係を築く、という観点はとても現代的です。なぜなら、20万年前に誕生したホモ・サピエンスはそのうちの、約19万年間を定住せず、狩猟採集民として群れをなし、移動しながら過ごしてきました。

それゆえ、集団で生活することが当たり前となり、若いオスとメスは餌を取りに行き、その間お年寄りで子供を育てるという形式をとっていたため、必ずしも現在のような種ごとに両親がつき子育てを行う形式ではなかったからです。

3.配偶者の獲得

さて、そんな子育てや環境づくりを行うにも、配偶者がいなければ始まりません。交配を行い、子作りをするための相手探しを行います。

環境に適応可能なより良い遺伝子を残したい、そのために最良の交配相手を見つけたいという欲求がどれだけ強いものかは、みなさんも実感しているはずです。

テストステロンという男性ホルモンがあります。これは男女ともに保有するホルモン物質で、攻撃性や積極性に影響します。テストステロンは20代でピークを迎え30代で減少に転じますが、減少傾向は必ずしも年齢に準じません。

子供が生まれることでも、男女ともこのテストステロンが大きく減少することが確認されています。

以下は、男性が父親になるとテストステロンが現象するという報告です。

Longitudinal evidence that fatherhood decreases testosterone in human males
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.1105403108

つまり、若い頃の積極性や攻撃性が、親になると落ち着くというのはテストステロンが影響の一つであると考えられます。親になるまでは積極性や攻撃性が増加し、リスクをとってでも異性を引きつけたいという欲求が強くなるのです。

4.地位・承認

「地位・承認」という欲求は、自分の能力や価値を認められたいという欲求です。この欲求は、進化的には、社会的な地位や名声を得ることで、配偶者や子孫の確保に役立つという機能があると考えられています。

この欲求は、自己評価と他者からの評価の両方に関係しています。自己評価は、自分の能力や価値に対する自信や満足感です。他者からの評価は、社会的な尊敬や支持を得ることです。この欲求が満たされると、自己効力感や幸福感が高まります。

マズローのピラミッドでは頂点にあった「自己実現の欲求」はこの機能の一部であるという解釈になっています。

人によっては、資本の量や社会的地位が高い人がモテたり、子供を多く残したりするという構造で理解しているかもしれませんが、これは全くの逆で「モテたい(より良い遺伝子を残すための交配相手を見つけたい)」という欲求の達成のために「地位や承認」を求めていると考えられます。

5.提携

提携の欲求は、愛情や所属感の欲求として一つのカテゴリにまとめられています。これらの社会的動機は、個人的な生存には必ずしも必要ではありませんが、人間は社会的拒絶に対して非常に敏感で、身体的な痛みと同じ神経回路を使って反応します。

これは、何も現代的な話ではなく、狩猟採集民のころから餌を効率的・安定的に獲得するためには集団が適していたことに起因します。その中でも「フリーライダー」は群れを追われ、餌を安定的に獲得することができず、死に至るリスクが大幅に上がるのです。食料や知識、育児の負担を他の集団員と分かち合うことで、生存に有利な保険となりました。

フリーライダーとは、コミュニティの中で役割を果たさず、ただ利益だけを得ている人物のことを指します。

つまり「承認されたい」という欲求は、「役割を果たして認められないと、餌の分配がなされずに死ぬかもしれない」という恐怖を感じる個体が生存してきた結果だと言えます。だからこそ、承認欲求が満たされていない状態というのは、本能的に死を感じる恐怖なのです。こう考えると、承認欲求も馬鹿にはできないものです。

6.自己防衛

自己防衛は、マズローが基本的な人間の欲求として挙げた「安全の欲求」に相当するもので、生存に必要な動機づけの一つです。先祖が直面した再帰的な適応問題に対処するために進化した独立した動機づけと認知のシステムを反映しています。

健康でいたい。病気や疾患にはかかりたくない。外敵からの驚異(ウイルスもその一種ですね)から、身を守りたい。寒い時は、衣服を着込み住居で暖を取る。敵対的な他者などの脅威から身を守るための恐怖反応や学習能力などです。

自己防衛は、トレードオフの原理に従って調整されます。

つまり、自己防衛に投資することは、他の目標(例えば、親密さや創造性など)に投資することを減らすことを意味します。自己防衛に投資することの利益とコストは、環境の危険性や可能性によって決まります。

7.差し迫った生理的欲求

差し迫った生理的欲求とは、飢えや渇き・睡眠など、生命を維持するために必要な欲求のことです。

この欲求は、他の欲求よりも優先度が高く、満たされないと生存に危機を感じます。ホメオスタシス(生体の恒常性)の維持に関係する欲求であり、生理的な不均衡が生じると欲求が活性化します。

人類史は飢餓との戦いだったとも言えます。食欲などを考えてみると、飽食の時代などはここ数十年で起こった変化でそれ以外の数百万年の間、食欲は満たされていないことが当たり前だったのです。

そのため、我々の脳や体にはカロリーを効率的に摂取し、溜め込むための仕組みが深く刻まれています。

どれだけ、頭で食事制限の重要性が分かっていたとしても、「空腹」により発生する生理的な不均衡による欲求の活性化を止められないのはそのためです。

これらの下位自己に関する、詳しい内容は以下の異様に評価の低い書籍にも書かれています。

評価をが低いということは誰も読まないので、ぜひ差別化のためには読んでみましょう。(狂)

なぜ人は「欲しい」と思うのか?

さて、ここまで7つの下位自己というケンリックが提唱した欲求の構造を解説していきました。一つ一つの欲求は掘り下げていけば行くほど深いのですが、簡単に構造を理解いただければと思います。

これらの欲求を満たす装置として「物欲」「所有欲」「食欲」などがあるのです。

しかし、この中でこういった欲求が生まれることに対して、意識的である人はどれくらいいるでしょうか? 例えば、「お腹が空いた、何か食べたい」という欲求が湧いたとき「個体の維持」を意識する人は少ないでしょう。

また、子育てをするとき「子供が愛おしい」と感じる心の動きを「これは、自分の遺伝子を持った個体を維持していくためである」と自覚的に捉えている人はほぼいないでしょう。

ここが、進化心理学における心の所作を考える上で、とても重要であり面白いポイントです。

合理的でなくて当然。7つの下位自己がもたらす不合理な意思決定

我々は進化の過程で、「生存に有利」な心の動きや欲求を持った個体が生き残ってきました。ですので、「合理」という環境や時代の変化によって変異する定義に当てはまらない行動をしないことは当然です。

先程の飽食の例でいうと、「高カロリーなものを食べ過ぎるのは健康に良くない」という「合理」は人類史における極めて限定的な期間にのみ当てはまることが分かってもらえたと思います。

つまり、1個体の生存期間中、もしくは高々数世代の変化では、遺伝子や本能レベルで、これらの急激な社会的変化によって発生した「合理」に後天的に適応するのは不可能なのです。

進化心理学の面白いところは、一見非合理に見える行動が、進化の過程で生き残ってきた欲の構造により「無意識的」に発現してしまうことの説明原理になっていることろなのです。

環境要因の大きい「合理性」という変数より、深いところでそれは駆動しています。

表面的な欲の理解ではなく「本能レベルの理解」がマーケティングにおいて必要な理由はここにあります。

【誇示的消費】一見必要なさそうなものの、必要性とは?

さて、一例を上げてみましょう。

誇示的消費という言葉があります。例えば、車。車を「移動手段」と考えるのであれば、どの車も大きな機能的便益差はありません。

そこに差がないのでれば、より安く、より低燃費なものも「みんな」が選ぶようになるはずです。しかし、そうでないことはみなさんもよくご存知のはずです。

上記の画像は、ラ・ラ・ランドというハリウッドテーマにした映画のワンシーンです。

パーティー会場でミア(エマ・ストーン)がセブ(ライアン・ゴズリング)に対して「車のキーを取って」というシーンで、他の参加者もみなキーが「プリウス」であるというシーンです。

さて、これが意味するところは何でしょうか? みなが「合理的」により安く、より低燃費なものもを選んだ結果でしょうか?

もちろん違います。

プリウスは、アカデミー賞授賞式で、レオナルド・ディカプリオが乗ってきたことで、ハリウッドセレブの間で一気にその名を知られることとなります。ハイブリッドカーなので排気量も少なく、ハリウッドセレブの間でプリウスは環境保全の象徴となったのです。

つまり、ハリウッドではプリウスは「環境意識が高い人物である」ということを「誇示する機能」を果たしているのです。

そうすることで、「自分はコミュニティに属している」「自分はコミュニティの中で役割を果たしている」という承認を得たいという「5.提携」の欲求が満たされるのです。

また「セレブのトレンド」に乗ることで、自分の地位がそこにあると提示し「4.地位・承認」の欲求も満たしているのかもしれません。

このように、機能的な便益とは別に深い欲求の駆動が、購買の意思決定の後押しとなっているのです。

どのようにマーケティングに活かすのか?

しかし、便益の奥にある「本能の重心」を狙うと、コンセプトもブランドのデザインも当たるんじゃないか。お金がなくても、本能さえぶっ刺せれば、私たちのマーケティングは結果的に当たる。私はそう考えているんです。

森岡毅さんは、日本を代表するマーケターで、数学に強いイメージがあるかもしれません。しかし昨今彼の口から多く語られる主張は「欲・本能」に刺すということをあらゆる場で言っています。

その「欲や本能の理解へのアプローチ」こそマーケターの本分であるとも語ることが多く、それこそが昨今数多く言及されている「顧客理解・消費者理解」であると語っています。

某サービスで社会的承認の欲求に「指している」旨の発言が短絡的だとの批判を受けていましたが、短絡的なのではなく「根源的」だからこそシンプルなのです。

実際に森岡さんもWeb上では公開されていない某セミナーにおいて、欲求の階層を独自に5つ程度に分類しているというお話を聞いたことがあります。おそらくこういった生物学的な欲求の素養が下敷きおいた上で、「本能の重心」を捉えようとされていると考えられます。(と勝手に思ってます)

「WHO」「WHAT」を考える際に、この下敷きがあるかないかで仮説の深度が大きく変わるからです。

表面的・機能的なベネフィットは、お客さまの「何の欲を喚起するのか?」を掘り下げてみると、より精度の高い戦略にたどり着くのではないでしょうか?

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最後までお付き合い、ありがとうございました!!

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