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21世紀初頭に光り輝いた邦画 (その2)

その1では、「千と千尋の神隠し」「黄泉がえり」「世界の中心で愛をさけぶ」「いま、会いにいきます」について書きましたが、その続きとして書きたいと思います。

2000年からの10年間に公開された邦画は、前後の時代とは違い、独特の光を放ち、それ以後の邦画の原型とも言える作品が、多く存在しています。

これは、1980年代後半にバブル崩壊により日本経済及び日本の映画界が、10年間の沈滞期と入っていきますが、1990年代を底に、2000年に入ると一気にV字回復をします。これに伴って、企画の段階で止まっていた新しい映画が、一気に製作されたのも大きな要因であると思います。

また、2000年代初頭の映画で特徴的なのが、「メディアミックス」「製作委員会方式」の2つです。

とは言っても、「メディアミックス」については、1970年代後半から角川書店と東宝がタイアップして小説等の映画化が行われていました。所謂、「角川商法」と呼ばれる映画(角川映画)が、多数制作され一時代を築いていました。

この角川映画は、今までにないスケールの大きい娯楽映画を売り物にしていました。当然、制作費も膨大なものとなり、ヒットはしても大して儲けには繋がらない状態となります。これにより、ヒットすれば継続。ヒットしなければそく終了といった非常に危うい体制が出来上がってきます。

1990年には大作『天と地と』を手がけて興行収入は92億円を上げますが、1992年にハリウッド進出第1弾と称した『ルビー・カイロ』を製作しますが失敗し、これらを含む一連の映画事業の失敗が、角川春樹さんと弟の角川歴彦さんの対立を招く下地となり、1992年に角川書店のお家騒動が勃発します。

角川映画を牽引していた角川春樹氏が、薬物所持により逮捕され、角川書店を離れる事態に至り、事実上、一時代を築いた「角川映画」は、終焉します。

1980年代に、角川映画に対抗するように、角川書店のライバルである徳間書房も、宮崎駿監督、高畑勲監督とともにジブリを創設します。
このスタジオ・ジブリは、原則的に劇場用の長編アニメーション、しかもオリジナル作品以外は製作しないスタジオというのは、日本のアニメ界だけでなく世界的にも極めて特異な存在でした。なぜなら、興行の保証が得られない劇場用作品は、リスクが大きすぎるだけに、継続して収入が得られるテレビ・アニメーション・シリーズを活動の中心に置くのが常識だったからです。

因みに、「ジブリ」とは、サハラ砂漠に吹く熱風のことであり、イタリア空軍がこれを飛行機名にしており、飛行機マニアであった宮崎駿監督が、これに因んで命名したそうです。

この様に、この時期は、書店、映画会社等がタイアップして映画が製作されていました。

そして、2000年代に入ると、「製作委員会方式」で映画が製作されるようなります。

この「製作委員会方式」とは、映画等を製作する場合、映画作成のための資金調達の際に、単独出資ではなく、複数の企業に出資してもらう方式のことを言います。

かくして、今までの書店、映画会社に加えて第3の軸であるテレビ局が、映画製作に深く関わることになります。
これより、より多くの資金を調達することが出来るようなりますし、映画の原作を小説、マンガのみならずヒットドラマさえも映画化される様になり、前の時代とは違い、独特の光を放つようになります。

では、この2000年代初頭のテレビから生まれた映画から話を進めていきます。

海猿(2004年)

この映画は、原作者佐藤秀峰さん、原案・取材小森陽一さんによる漫画「海猿」を、2002年にNHKとフジテレビがドラマ化し、2004年に映画化された作品です。

フジテレビのテレビドラマ「海猿」は、主人公の仙崎 大輔に伊藤英明さん、ヒロイン役の伊沢環菜に加藤あいさんが演じ、このドラマが放送されると、瞬く内に、評判となります。

マイナーなスポーツであったスキューバダイビンが、このドラマににより一躍脚光を浴びることとなり、スキューバダイビングの会員数がうなぎ登りとなり、ダイビングの予約が取りにくい状態にまでなったそうです。

この人気を背にテレビドラマ「海猿」が、2004年に映画版として公開されます。最終興行収入17億円となり、映画化に成功します。

この成功により、2006年には『LIMIT OF LOVE 海猿-UMIZARU-』、2008年には『THE LAST MESSAGE 海猿-UMIZARU-』、2012年には『BRAVE HEARTS 海猿-UMIZARU-』と計4作品が公開されます。
2作目が、最終興行収入が71億円、第3作目が80億円、第4作目が73億円と、この映画の製作委員会の筆頭であったフジテレビにとっては、この映画が稼ぎ頭となります。因みに、第2作目以降は、漫画「海猿」の原案者である小森陽一さんが、脚本を担当しています。

但し、この実写版「海猿」は、2017年10月以降、二度と配信できなくなります。(DVDは除く)

これは、原作者である佐藤秀峰さんとフジテレビとの「海猿」という作品の表現方法を巡って争いが原因であると言われています。さらに、原案者である小森陽一さんが、映画2作目以降の脚本を書いていることが、さらなる騒動となります。

この原案者という立場ですが、これは原作者と同様に著作権を行使できる人間でもあります。例え、原作者が正式に契約を結んでいなくても、原案者のアイデアを流用した時点で、原案者は、その著作権を行使できます。

このいい例が、アメリカ映画の「トップガン」です。

映画「トップガン」は、1986年に米海軍訓練基地の戦闘機パイロットについて故エフド・ヨネイ氏が雑誌向けに執筆した記事を元にして脚本が書かれているために、故エフド・ヨネイ氏が映画「トップガン」の原案者であると主張できるのです。
これは、日本ではあまり馴染みのないものですが、日本でも民法上認められた権利となっています。

映画「海猿」は、日本版「ダイ・ハード」であり、非常にいい映画ですので、その映画を気軽に見ることができないことは残念に思います。

容疑者Xの献身(2008年)

この映画「容疑者Xの献身」も、推理作家 東野圭吾 原作「ガリレオシリーズ」が、ドラマ化されヒットしたことにより映画化されます。

「海猿」に続いてまたフジテレビが主幹となって「製作委員会方式」により、映画「容疑者Xの献身」が、制作されました。


この映画「容疑者Xの献身」では、テレビドラマのオリジナル・メンバーの他に、天才数学者でありながら、事情により高校教師をしている石神哲哉(堤真一)が、ストーリーの上で重要な人物として登場します。石神哲哉は、天才物理学者である湯川学(福山雅治)が唯一、自分以外で天才と認めた人物であり、同時に友人と感じた人物でした。

登場人物の特徴か、「リーマン予測」「四色問題」など数学の難問が登場します。しかし、これらの数学の問題は、ストーリーとは直接に関係しておらず「謎解き」という比喩でしかありません。

映画の中で、湯川が石神に

「数学の新しい問題を1つ思いついたんだ。誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのとではどちらが難しいか。ただし、答えは必ず存在するとする。」

と問いかけるシーンがあります。

これこそが、この映画の肝であり、この瞬間、湯川は、「真実」を求めはじめ、そして、最後には「だれも得をしない残酷な真実」にたどり着き苦悩します。

そして、最後のシーンでは、湯川が石神に問うた問題の最後の言葉である「答えは必ず存在する」が現れてきます。

若干、倫理的にどうかと思う設定もありますが、ストーリーは、緻密で、謎解きと悲劇の物語を同時に楽しめるものとなっています。但し、 東野圭吾さんが、推理の手がかりを意図的に伏せて書いており、本格推理小説としての条件を完全には満たしていないという論争も起こっています。

しかしながら、ストーリー構成の素晴らしさと石神を演じた堤真一さんの熱演により、この映画は、ヒットします。そして、2012年に韓国版、2017年に中国版、2023年にインド版としてそれぞれ映画化されているほか、舞台劇にもなっています。

劇場版第1作目が好評であったことから、続いて、テレビ第2シーズン放送終了直後の2013年6月29日に小説ガリレオシリーズ第6弾『真夏の方程式』が劇場版第2作目として公開されます。
ヒロイン役は、テレビ第2シーズンと同じく吉高由里子さんが演じています。

2022年9月16日には、小説ガリレオシリーズ第9弾『沈黙のパレード』が劇場版第3作目として公開されます。ヒロイン役は吉高由里子さんから再び柴咲コウさんに交代しています。

今、FODに加入しているので、ガリレオシリーズを最初から見直していますが、興味深いことに、ガリレオシリーズ シーズン1 第1作目「燃える」では、ムロツヨシさんがエキストラとして本当に一瞬登場しています。(クレジットにも名前が入っています。)

第1作目は、2007年10月15日に放送されているので、約17年前となりますが、今の活躍ぶりからは想像が出来ない事であり、時の流れというものを感じてしまいます。

タイヨウのうた(2006年)

『タイヨウのうた』は、2006年6月17日に公開されたYUI、塚本高史主演の映画作品です。

この映画は、SDP(スターダスト・ピクチャーズ)が1993年の香港映画『つきせぬ想い』のリメイク化権を取得し、ソニー・ミュージックレコーズによる初の映画への出資により、映画製作が開始されます。

しかし、リメイク元の設定が時代的に古いこともあり、同作を原案としつつも、歌を前面に出したオリジナル・ストーリーが採用されます。これは、ソニー・ミュージックレコーズが一部出資していたためであり、また、ヒロイン役がミュージシャンと言う設定のために、ブレークしかかっていた歌手のYUIが、ヒロイン役を演じるようになります。

この映画は、色素性乾皮症(XP)を患い、夜しか活動できないミュージシャンの少女と彼女に出会った少年の純愛を描いた物語です。

主演のYUIは、俳優ではなく歌手ですので、演技は若干素人くさいのですが、こんなYUIの演技を補うかのように、同じく主役の塚本高史さんを始めとする俳優陣が脇を支えています。

しかし、流石に歌のシーンでは、引き込まれるほど表現力豊かであり、俳優でもないのにヒロイン役に選ばれた理由が解ったような気がします。役柄とリンクした「YUI for 雨音 薫」名義でリリースした主題歌「Good-bye days」は、オリコンの週間シングルチャートで3位を記録するヒットとなります。

この映画は、上の2つの映画と違い、最初に映画が公開された後に、2006年7月 - 9月にTBS系列で山田孝之、沢尻エリカ主演でテレビドラマ化されています。

また、この映画は、2018年に、ベラ・ソーンとパトリック・シュワルツェネッガー主演でハリウッド・リメイク版『ミッドナイト・サン 〜タイヨウのうた〜』として生まれ変わっています。

名前でもわかると思いますが、主役のパトリック・シュワルツェネッガーは、大スターであるアーノルド・シュワルツェネッガーの実の息子です。
一瞬の表情など、若き日のアーノルド・シュワルツェネッガーを彷彿とさせます。

テレビドラマの映画化ではないのですが、「ALWAYS 三丁目の夕日」の第1作目も2005年11月に公開されています。監督は、「ゴジラ -1」で今年度のアカデミー賞特殊効果部門を受賞し有名となった山崎貴さんが監督を努めています。この「ALWAYS 三丁目の夕日」は、昭和33年を念入りに再現した作品であり、作りかけの東京タワーなどCGの活用の仕方が当時は、画期的であったといわれています。結局、このシリーズは、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年)「ALWAYS 三丁目の夕日'64」(2012年)の三部作となっています。

おくりびと(2008年)

2回に渡り書いてきたプログの最後に紹介したいのが、この映画「おくりびと」です。
この映画を一言で言い表すと「静謐(せいひつ)」です。これは、日本映画がその最初から持ち続けたテーマであり、小津安二郎監督や黒澤明監督によって世界に紹介された日本映画の真髄であり、他の国の映画にはないものです。

この映画は、主演を演じている本木雅弘さんが、1996年に出版された青木新門著『納棺夫日記』を読んで感銘を受け、青木新門さん宅を自ら訪れ、映画化の許可を得ます。

しかし、企画の段階で、原作者である青木新門さんの同意を得ることができずに、『おくりびと』というタイトルで、『納棺夫日記』とは全く別の内容で、別の作品として映画化されることになりました。

本木さんは、この映画を製作するために青木新門さん宅を何度も訪れたといいますが、最終的には断られますが、それでも納棺師という職業を描きたいという情熱が、この映画を作り上げています。

この映画は、当初、地味で陰気な職業である納棺師を扱っていることから、興行的には苦戦をしますが、2009年2月の第81回アカデミー賞の外国語映画賞受賞すると、一躍注目を浴びて、納棺師という職業が見直され、この映画が再び光り輝くこととなりました。

以上が、21世紀初頭に光り輝いた邦画についてです。

この時代の映画には、日本映画本来の「静けさ」と若く情熱的なストーリーを持った新しい映画とが、上手く融合しており、「いま、会いにいきます」「容疑者Xの献身」「タイヨウのうた」など海外でも、その映画が認められ幾つかのリメイク版が登場しています。

しかし、上記の海外リメイクされた映画以外にも、数多くのこの時期に製作された日本映画が、海外で認められリメイク化が企画されますが、これを阻んだのが、同じく2000年頃から発生した「製作委員会方式」でした。

この「製作委員会方式」は、会社形態とは違い、無限責任による組合のようなもので、その映画の版権が、数多くの企業等に跨っており、リメイク化する際の大きな障害となっています。

上記の3作品が、リメイク化された背景には、映画の素晴らしさはもちろんのこと、この全てに関わっているSDP(スターダスト・ピクチャーズ)という映画製作及び配給会社の存在があったからです。

素晴らしい内容をもったコンテンツ不足の中、世界では、古い映画が見直され映画リメイク化と言う流れが起こっています。この為、日本映画そして製作委員会方式の運用のしかたを考えるべき時になっているとおもいます。

今回紹介した映画は、どれも20年近く経ったものですが、いま見直しても決して色褪せず、光り続けています。



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