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「介護日記」その5

 2012年1月1日 日曜日
 明日、明後日が勤務日なので、元旦ではあるが、ほとんど何もせずのんびりと過ごす。

 昼食後、うとうととしている間に、短い夢を見た。

     **

 母が入所施設から帰宅し、親戚を迎えるために、何故か和服姿で、麻痺している左足を少し引きずりながら、甲斐甲斐しく動き回っている。

 「こんなにも回復したのか!」

 感動の面持ちでその姿を見ているうちに、夢から覚めたときの砂を食むような気持ち・・・

 母にとって痛みに耐えながらのリハビリを続ける日々は「大変」なんていう言葉では表せないほどだと思う。

 歩く練習をさせてもらっているのが、唯一の喜びだと言う母にとって少しでも良い方向に事が運ぶように、こちらも努力したい。

     ***  ***  ***

  3月14日 金曜日
 今月2日夜発熱のため入院した父が、10日に退院した。担当医師によると、腎機能の低下が進行し人工透析が必要になるかも知れないが、腎臓専門医ではないので、判断は掛かり付けの腎臓医に任せるとのことだった。

 そのときの父の様子は、入院前と明らかに違っていた。
 声は力なくかすれ、上半身が常時震える。歩行もよたよたとバランスを崩しそうになり、5メートルも歩くと息があがって立ち止まる。単なる廃用症候群としては片付けられないように思えた。

 回復するのだろうか・・・。

 回復するにしても時間がかかるかも知れない。

 退院手続きを済ませた後、掛かり付けの腎臓専門医のところへ直行。血液検査を受けた。結果は後日。

 予想に反して、父の回復は早かった。一晩眠ると震えも止まり、入院前と変わらぬ歩行状態に戻っていて、これには驚いた。高齢により衰えてきてはいるが、生来体の強い人なのだ。

    **

 本日、血液検査の結果を聞きに行ってきた。

 腎機能は、数値的には人工透析が考えられるところまで来ている。ただ、食欲の低下も呼吸困難による不眠もないため、まだ大丈夫だということだった。
 ひとまずほっとした。

 天気が良かったので、犬迫町の物産館「泉石藏」に寄り、父の好きな鹿児島の伝統菓子「かからん団子」と「いこ餅」を買って帰った。

      ***  ***  ***

   4月8日 日曜日
「どこかドライブに行こう」

 父がそう言うので、近間で城山展望台に行くことにした。

 駐車場から展望台までの間に上り坂があるのがちょっと気になったが、大した距離ではないのでなんとかなるかな…、と思った。

 ヨチヨチと歩く父。

 途中、売店が並ぶ辺りで、休みたいと言い出した。

 売店列の一番奥にベンチが置いてあるので、そこまでは頑張ってもらうことにした。

 ベンチに父を残し、近くの自販機まで戻ってお茶を買い、2人並んで飲みながら約20分。

 「さて行こうか!」

 歩き出したものの、坂道を上るだけの脚力が無い。3メートルほどで引き返してきた。

 残念がっていると、売店のおばちゃんが、貸出用の車椅子が準備してあることを教えてくれた。

 ラッキー!

 エッチラオッチラ、車椅子を押しながら展望台に到着。

 本日日曜日につき、観光案内のボランティアさんが何人かいたので、そのうち2人の方と30分ぐらいお喋りしてきた。

 「いい散歩になったよ」

 そう言って父も喜んでくれた。

 87才の春、人生初の車椅子体験であった。

    ***  ***  ***

  5月16日 水曜日

 前年度末をもって、仕事を辞めた。
 老健でリハビリ中の母を、在宅生活へと迎え入れるためだ。

 昨年6月、脳梗塞で倒れた母。市立病院に緊急入院後、生死の狭間から持ち直し、リハビリ転院を経て老人保健施設に入所中。

 その母が、いよいよ帰ってくる。

 左片麻痺の母が、車椅子を使っての在宅生活を送るには、純和風の我が家を改修する必要がある。
 畳を除去して、フローリングに張替え、段差はスロープへ。行動範囲に手摺りを付け、トイレの狭い出入口は、壁を除去して拡張。ドアをアコーディオン・カーテンへと交換する。
 それらの工事は、介護保険を使って行う。

 家屋調査を経て、3日ほど前、役所から改修許可が降りた。
 今週末、工事に入る。
 
     ***  ***  ***

  5月31日 土曜日
 昨日、母が老人保険施設を退所した。

 午後2時に迎えに行き、知り合いとなった利用者さんたちと涙のお別れを済ませ、マイカーに乗っけて約20分で我が家に到着。

 母の在宅生活は、昨年6月7日、脳梗塞で倒れ市立病院に緊急入院して以来、約1年ぶりのこととなる。

 住宅改修を済ませ、介護用ベッド、車椅子、段差用スロープ・ボードのレンタル契約を終えて、準備万端の受け入れ。
 そこに加えてヘルパーの資格を取り介護士としての経験も積んでいる。車椅子からベッド、ベッドから車椅子への移乗介助、トイレ介助など、勤務として毎日のように行なってきた。
 母の脳梗塞は、謂わば「想定外」だったのだが、今になって思えば、まるでそのような事態に備えるための準備だったかのような流れになっている。
 
 しかし、インスリン注射は初めてのこと。事前に病院で説明を受けてきたが、これは倒れる前に、母が自分一人で行なっていたので、初回だった昨夜の注射も、問題なく実施できた。

 それはそれで良かったのだが、予想していなかった問題も起こった。

 母の要求のあまりの多さに、面食らってしまった。

 夕食準備をしている間、何度もベッドサイドに呼ばれ、なかなか調理が進まない。痛みの訴えやトイレ介助の訴えが繰り返され、仕舞いには父が声を荒らげ始めた。それがまたこちらへのストレスとなってしまう。

 「こんなに何度も呼ばれるんじゃ、うちでの生活は無理だよ」

 母の耳元で、ついそうつぶやいてしまった。

 母も母で、
「こんなにあんたばっかりに負担をかけるんじゃ、ここには居られないね。何にも知らないもんだから、あんた以外にヘルパーを頼めるのかとばっかり思ってたから。でも一日でも家に居れてよかった」
 などと言い出す始末。
 介護者のいる時間に、同時にヘルパーを頼めないことを母は知らなかったのだ。

 3人3様に混乱し、疲労困憊し、部屋中にストレスが充満してしまった。

 一夜明けると、少し状況も変化した。痛みの訴えもトイレ介助の要求頻度も、昨日ほど頻回ではなかった。
 家族三人とも、気持ちの昂ぶりが落ち着いてきて、お互い少し慣れたのかも知れない。
 まあ、こうして日記を書く余裕も出てきたわけだし…。

 明日は、利用予定になっているデイ・サービスの職員さん、ケアマネジャーさんとの担当者会議が我が家で行われる。


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