「介護日記」その3
2011年9月17日 土曜日
8月7日に入院した父が本日ようやく退院してきた。約40日振りの我が家ということになる。脱水症状で入院した当初は、2週間ほど入院して様子を見ようと言われのが大幅に延びた。
腎臓、肺、心臓に機能低下が見られ、とくに腎臓が悪化していたための延期だった。退院後も食事制限と通院の必要がある。大変ではあるが、やはり我が家に居てくれるのが何より嬉しい。
午後2時に退院した後、3時より介護関連の皆さんと打ち合わせを行なった。今後、父のデイサービス利用日以外で僕が仕事で不在の場合、昼食準備と服薬の面倒をヘルパーさんに頼むことにした。
その部分は今までは妹が担っていたのだが、もともと悪かった兄妹仲が、そのことでさらに悪化した。下手に身内だと遠慮がなさ過ぎて物言いに歯止めが効かなくなる。受け止めきれないと思った。そのことによってこれ以上ストレスを増やさないための決断だった。
担当者会議終了後、父を助手席に乗せて、思い出の町をあちこちと巡ったあと夕食を済ませた。今、父のいる居間からテレビの声が漏れ聞こえてくる。家に家族が一人でも居るというのはいいものである。
これから、父を伴って母の入院先を見舞う予定。
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10月3日 金曜日
父のデイサービス利用日と僕の休日が重なった。
久し振りに一人で過ごしている。
だから、こうしてゆっくりと日記を書いたりもできる。
このところ、なかなかそんな時間がなくてね・・・。
2~3週間前のことになるけど、久々に明晰夢を見た。
「明晰夢」とは、夢のなかで夢と気づいている夢。
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僕は車を運転している。
ワゴン車だ。
だだっ広い工事現場に、なにかの機材を搬入しようとしている。
現場に到着して、ハンドルを切りながらバックして駐車。
車から降りた後、証書にサインをもらうために仮設本部に向かう。
その後、駐車してある車に戻ろうとするのだが、来た道をたどっても、もとの場所に戻れない。
ぐるぐる ぐるぐる
どの角を まがっても 見知らぬ風景が待ち受けているばかり
どこに車を停めたのか・・・
なんだか カフカの『城』みたいな 暖簾に腕押しみたいな、スカスカとした奇妙な迷宮感覚。
いつまでたっても抜け出せない この感じ・・・
これって、たぶん夢だよな。
じゃあ、試しに空を飛んでみようか。
飛べる。
やっぱ夢なんだこれは
よかった!
油断した途端に、竹やぶに激突。
ガサガサとした感触が生々しい。
現実世界は、たぶんもう朝だ。
じゃあ 目覚めなきゃ。
ん?
その方法がわからない。
起きたいよ!
でも、どっぷりと夢の中にいる自分。
現実世界への出口が見つからない。
眠ってるんだったら、横たわってるはずだ。
じゃあ、とりあえず 仰向けになってみよう。
体の状態が一致することから、現実世界に繋がるかもしれない。
あれ?
床から2本の手が伸びてきた。
その腕が僕の胸を抱きかかえて・・・、身動きとれない。
目を覚まさなきゃ・・・
でも
床から抱きしめられて
どうやったら 目覚められるの???
助けて~!
(※この夢、今こうして読み返してみると、当時の心境が色濃く反映されている。)
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10月23日 木曜日
要介護Ⅱに認定されている父、現在週に3日デイサービスを利用している。その預け先を来月から変えることにした。
8月に脱水症状で緊急入院。今後もそのようなことが無いとは限らない。そんなとき、自分がそばに居たほうが素早い対応が可能なので、現在僕が勤務しているデイサービス・センターに通ってもらうことに決めた。
今月20日、我が家にて引継ぎのための担当者会議が行われた。
ケア・マネジャー以下、新旧デイサービス担当者一人づつ、ヘルパー・ステーションの責任者と担当ヘルパー、そして家族を代表して僕と、計6人が、狭い8帖間に顔を揃えた。
人工肛門のパウチ交換、腎臓病食、食前・食後・食間の飲み薬に、肺のための貼り薬と、けっこう対応も込み入っている。
職場では僕の上司にあたる30代の生活相談員も、この日は利用者側である僕の前では、神妙な顔つきの一人の若者となり、
「よろしくお願いします」
などと、腰も低くしおらしかった。
ヘルパーステーションの主任さんから、こんな言葉も戴いた。
「正直言って、毎日の食事の準備、急にできるのかしら、と思ってました。だけど、よくやってらっしゃいますよね。
先日腎臓病食の講習を受けてきましたけど、タンパク質は少量、野菜は生を避け、全体に薄味でと、理に適ってますよ。」
褒められれば悪い気はしない。
しかし、父の病状を考えれば、スーパーのお惣菜で済ませると言うわけにもいかず、自分で調理するのは避けられないことなのだ。
母も、来月下旬には退院してくる。
今年は、我が家にとって大きな転機となる。