見出し画像

「陶郷美山へ行ってきた」

 美山は、13の窯元が点在する陶器の郷。薩摩焼発祥の地です。

 司馬遼太郎作『故郷忘じがたく候』で知られる沈壽官(ちんじゅかん)の窯もそこにあります。


 音大在学時に鹿児島に帰省した際、父から譲り受けた鹿児島を紹介する本の中に、第14代沈壽官氏の風貌や窯元の写真が掲載されていました。

 遠く離れたふるさとへの思いとも重なって、それらの写真に憧憬にも近い気持ちを抱きましたが、興味はそれ以上に深まることはなく、以後20年余の年月が経過しました。

 興味が深まらなかった理由としては、沈壽官氏らが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、薩摩藩によって捕まり、連れ帰られた人々の末裔だったことがあげられます。その頃は、混じりけの無い古来の鹿児島を感じたいと思っていたのです。

 鹿児島にUターンして以来、雄大な大自然が見せてくれる美しい景観に心奪われ、薩摩焼や沈壽官氏の存在は、心の片隅に追いやられていたのですが、帰郷後2年経ち、再び沈壽官氏の存在が意識上に浮上してきました。

 薩摩川内市のレストランで、小さなクリスマス演奏会を行った翌日、器材を引き取りに行った帰り、それまで使っていた国道3号線ではなく、別ルートを辿ってみることにしました。
 その道すがら「沈壽官窯」の看板を目にしたのです。

 その一帯は、低い石垣の上に巡らされた生垣や、孟宗竹の林が目立ち、周囲とは違った独特の空間が広がっていて、大いに興味を引きました。

それが、今回の訪問へと繋がったのです。

 北朝鮮による日本人拉致などもあり、美山に住む、韓国から連れて来られた人々の苦難の歴史には心痛みます。埒被害者を救う会で主なスポークスマンを務めている増元輝明君が、同じ高校の同期生であり、卒業アルバムにもその姿を見ることができます。吹上浜に行くと、拉致現場を示す小さな看板を目にすることができます。

 沈壽官邸の一画に設えられた売店に、『故郷忘じがたく候』が置いてありました。
 江戸末期まで、島津藩の庇護のもとにありましたが、明治以降はそれもなくなり、受け入れがたい不条理に耐え忍びながら、逞しく生き抜く英知と精神力、生命力、そして故郷を思う強い気持ちと誇りを感じて、大いにに考えさせられました。
                    (2006年1月)


いいなと思ったら応援しよう!