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本の中の未来の話

 高校3年の秋になって、私は志望校記入欄に初めて志望する大学を書いた。
 完全にノーマークだったその大学は、地方の国立大学でうちの学校内では、低くも高くもない偏差値レベルだった。
 幸い当時の私の成績から言えば、それほど受験勉強に精を出さなくても、B判定以上は取れそうな感じだった。ただ、二次試験が独特な形式だったので一応は机に向かっていた。

 私の通っていた高校は、県内トップの進学校だった。
 毎年3月、校内に張り出される進学先一覧には、東大や京大といった有名大学の名前が並ぶ。短大、専門学校への進学や就職は毎年ゼロ。卒業生には政財界のお歴々がたくさんいる。
 そんな賢い同級生たちの中で、私の成績は平均以下。数学と英語は、常に赤点。
 将来の夢や行きたい大学がはっきりしていないので、そもそも勉強に対するモチベーションが低い。
 かと言って、夜通し友達と遊んで補導されるような刹那的な青春を送るわけでもない。
 そもそも友達なんてほとんどいない。
 入学式前に想像していたキラキラした高校生活は、あーだこーだしてるうちに手垢にまみれて真っ黒になっていた。どうせ私には手に余るものだったんだろう。たぶん。
 だから、夏休みが終わってからすぐの模試も、「どうせ──」という気持ちで受けていた。
 言い訳しながらかき集めたネガティブを「どうせ」の後に当てはめる。そうやって厭世感を気取ってるくせに、これまたどこからか集めて積み上げた小さなプライドの塊が、「どうせ」の後に入れたネガティブワードをはじき出す。
「どうせ、本気で勉強すればどこの大学だって行ける」
 そんな気概もないくせに、足場のない未来を想像しては、自分に愛想笑いをする。

 進学校の落ちこぼれによくいるカッコ悪い高校生の私は、それでも一応真面目に模試の開始の合図を待っていた。

 最初の科目は、国語。
 開始のベルとともに、一斉に紙をめくる音が机から立ち上がる。
 私は、誰も見ていないのに余裕ぶってゆっくりと表紙をめくる。
 今回、現代文の問題に取り上げられていたのは、「ネアカとネクラ」についての考察らしい。
 え、待って。これ、面白い。まさか現代文の問題に引き込まれるなんて、想像してなかった。
 その日は、いつも以上に早く帰りたかった。早く本屋に行きたい。
 そんなことしても意味ないのに急いで問題を解いて、じりじりと進む時計の秒針をちらちらと見ながら、ふわふわと宙に浮いた気持ちを持て余していた。
 文系の私は、昼前に模試を受け終えると、理系の友人に挨拶だけしてすぐに駅へ向かった。
 街で一番大きな紀伊國屋書店に着いたときに、いつも聴いている椎名林檎を聴いてなかったことに気づいた。
 検索機に模試の問題用紙に書いてある書名を入力する。在庫はあるようだ。
大学受験関連のコーナーの本棚を占める赤い背表紙の問題集を素通りして、心なしか照明の弱い哲学コーナーに行くと、すぐに目当ての本が見つかった。
 その場で奥付を確認すると、著者は大学教授だった。
 この教授に学びたい。
 その時、ようやく私の志望大学が決まった。

 無事、志望大学に入学した私は、絶望していた。
 入学オリエンテーションでもらったシラバスを隅から隅まで目を通すことを三回繰り返して、今更大学のホームページを確認して、私は絶望していた。
 あの模試の日に知った大学教授が教鞭を取る大学に入学したはずだった。
 それなのに、その教授の名前がシラバスにもホームページにもない。大学に問い合わせてみると、私たちの入学と入れ替わりで別の大学へ移ったらしい。
 そんな、アホな。勝手にどっか行かないで。
 こちとら見知らぬ土地で、いきなり独りで絶望を抱えている。高校のときよりもずっと楽しみに想像していた輝かしいキャンパスライフは、入学早々に遠くに去っていった。
 遊び倒す大学生活にしようにも、地方の中規模都市ではたかが知れてる。
 抱えきれない感情は誰かに持ってもらえ、と携帯電話を手に取って、リダイヤルから高校時代の友人の番号に電話をかける。
「どしたー?」
 会わなくなって一週間くらいしか経ってないのに、もう懐かしく感じる。
「いや、あのさ──ホ、ホイコーローの作り方って知ってる?」
「え? ホイコーロー? んー、たしか豚肉とキャベツを味噌で炒めるんじゃなかった?」
 入学したらあの教授が異動してました、と伝えるのが急に恥ずかしくなって、ついホイコーローのことを聞いてしまった。
「あー、たしかに。普通の味噌でいいのかなって、ちょっと気になっちゃって」
「作ったことないけど、どうなんだろうね。あ、中華料理だから、普通の味噌じゃないかも」
 友人の声を聞きながら、本棚代わりのカラーボックスにあるレシピ本が目に入る。たぶん、ホイコーローのレシピも載っているだろう。
 そういえば、なんの因果か今まさに電話で話している友人が入学した大学に、目当ての教授が異動したんだっけ。
「そっか。もし作ったことあれば、と思って聞いてみた」
「ごめん、作ったことないわ。そんなことよりそっちはどう? 一人暮らしって、けっこうやること多くない?」
 私たちは、三十分ほどお互いの暮らしや大学のことを話して電話を切った。
 結局、私は教授の異動のことを友人に言えなかった。
 夕飯は、ホイコーローを作ることにした。
 カラーボックスのレシピ本に手をかけて、はたとその手を止めた。レシピ本の3つ隣には、私の人生を変えた本が心なしか所在なさげに収まっている。
 レシピ本から手を離して、その本を手に取る。模試に採用された箇所には付箋が貼ってある。
 本を開き、私は付箋を剥がした。同時に、想像していた未来に貼っていた付箋も剥がれた気がした。
 人生なんて何が起こるか分からない。それはその通りだろうけど、かと言ってそれをそのまま飲み込めるほど達観もしていない。
 受験勉強から解放された私に、仮面浪人して来年再び受験するまでモチベーションが続くと思えない。
 私は人生を変えた本をカラーボックスに戻して、あらためてレシピ本を取る。ホイコーローは載っていたけど、材料に書かれていた「甜麵醬」とは一体なんだ。とりあえず、味噌は使わないらしい。
 目的なく作った豚肉とキャベツの炒め物は、少し焦げて安物のフライパンにひっついてしまった。

 人生なんて何が起こるか分からない。それは、想像と違う未来がやってくるという意味だけじゃない。そもそも想像すらしていなかった出来事が起こることがある。

 話は高校時代に戻るが、高校生のときに一度だけ小説を書こうとした。原稿用紙四枚書いたところで挫折してしまった。それ以上書けなかったんじゃない。何気なく読み返したときに吐き気がするほど、猛烈につまらなかった。こんなものを人の目に触れさせてしまうわけにはいかないと思った。
 私の最初の小説は、公害でしかなかった。

 その私が今ではライターとして文章を書くことでお金をいただき、小説を書いて公募に出すようになっている。
 未だに落選続きであることを思うと、やっぱり大したレベルではないのだろう。
 それでも、と膝をつく前に次の一歩を踏み出す根性だけは身についたようだけど。

 小説を書くようになったきっかけは、不定期に読書会を開催していた友人の結婚パーティーだった。たまたま参列者の中に小説の書き方を教えている人がいて、その人に教えを乞うた。
 私は、「書くことが楽しくて仕方がない」というタイプではない。「日々、文章と物語が溢れて仕方がない」というタイプでもない。
 一体何が良くて小説なんて書き続けているのだろう。時折、不安になる。自信も無くす。
 ただ、書くことでしか触れられない何かがあるような気がしている。思ったこと、考えたことをそのまま出すのでは辿り着けない、ストーリーと行間でしか伝えられない何かがあるように思う。
 小説の書き方を学ぶ中で、テクニック以上に大切なことを知った気がする。

 そういえば、先生と出会ったのも、元をたどれば一冊の本だ。
 あの時、読書会に参加していなければ、主催の友人とも知り合っていない。
 本をきっかけに出会えなかった人もいれば、本をきっかけに出会えた人もいる。

 本を開くと、想像していなかった未来が動き出す。

 いつか私の作品も誰かの未来へつながるものとなることを願って。




七緒よう

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