看護九月革命
今日、9月5日は
看護界においての「革命の日」だ。
誰が認定したのか?
もちろん、私が勝手に制定した。
レミゼラブルの民衆の歌を流しながらシンポジウムがオンラインで配信されるのを待っていたら、鳥肌が止まらなかった。
経緯を説明すると、今年の看護学教育学会(国内でおそらく一番有名な看護教育に関連する学会)が設立30周年を迎え、その記念シンポジウムが
『成人学習理論の看護学教育実践への応用』というタイトルで行われた。
日本の成人学習を牽引されてこられた三輪 建二先生(星槎大学大学院)をはじめ、前川 幸子先生(甲南女子大学)、そして現役看護師の小出 智一さんによる本当に豪華すぎるくらい豪華なシンポジウム。
成人学習理論が看護の世界に参入する、これがどれだけすごいことなのかはこれを読んでいる方にはもしかしたらピンとこないかもしれない。
ペリーが黒船で来港して200年以上の鎖国が解かれたような、
ウィーン体制が崩壊したフランス7月革命のような、
大げさかもしれないけど、
それくらい、看護の世界に成人学習が学問として参入するということは本当に心が震えるような瞬間だった。
パソコンの画面に、
前川先生のスライドで「学生との関わりにおける相互の解釈」と表示されたとき。
小出さんのスライドで「学習者の尊厳と個別性」と表示されたとき。
三輪先生のスライドで、ショーンやノールズやクラントンやメリアム先生の写真とともに成人学習の歴史が紹介されたとき。
全私が泣いた。
たぶん、学会見ながら泣いてるひとなんて私くらいだと思うけど。
なんだろう、脳内でレミゼの
「たーたかうもーのの-歌がきーこえるかー
鼓動があのドラムと響きあーえばー
あーらたにあつーい命がはじーまる 明日がきたときそうさ明日がー」
と大音量で再生される。
「学生の尊厳」を守ることが大切だということ、
相互理解・相互解釈が欠かせないということ、
学生や看護師をひとりの成人とみること、
私が大学院で学んできたことも、これから伝えていきたいことも、追い求めていきたい未来も、全部全部つまっていた。
きっと、わからないけど、こういったことは今までの看護教育の世界では「わかっているけど口にだしにくい」領域というか、
自分もこうして育ったんだから、という思いがあったりだとか、
そんないろんな思いや背景が複雑に絡まりあって表にでてこなかったことで、
だからこそ30周年の節目の年にこうして取り上げていただけたことが本当に貴重で有り難い。
シンポジウムのQ&Aセッションで、座長をされていた先生(めちゃくちゃ偉い、看護学教育学会の副理事長)がおっしゃった言葉、
「私はこれまで看護師は絶対に失敗をしてはいけない、とずっとずっとそう習って教わってきたんです。ですが、成人学習理論を取り入れることで、これからは失敗を認め、失敗から学ぶことが大切だとわかりました」
私なんぞの若輩者がいくら「失敗から学ぶ!」「看護の伝統は変えていこう!」とあらゆる媒体で書いたり、話したところで、やっぱり賛同は得られないと思うし限界がある。
座長の先生がそうおっしゃってくださった一言は、本当にずっしり重くて、ああ、ここからまた看護の新しい時代が始まるのではないかと感じた。
今もSNSなどで、看護学生さんや新人看護師さんの悲痛な叫びを目にすると、心が痛む。
でも、必ず少しずつ前進している。
ありがたいことに、いろいろな繋がりから大病院の看護師長さんのような管理職クラスの方々から「成人学習について教えてほしい」という声をいただくようになった。
恐れ多すぎるしまだまだ自分は語れる立場にはないけれど、
こうしてnoteを使って発信していくことや、自分の学びを可視化していくことをこつこつと続けていきたい。
私が起こせる変化は本当に微々たるものかもしれないけど、
いつの日か、成人学習が看護の世界に当たり前に溶け込む日々を、
ひとりひとりの看護学生さんや看護師さんの
尊厳も権利も個別性も経験も思いも尊重(respect)される日を目指して、
支え合いながら前に進んでいきたい。
30年後、60手前の自分はきっと「看護九月革命」の遠い日のことを思い出しているかもしれない。
(大量の課題と予習と)戦うものの、歌が聞こえるか?
鼓動がドラムと響き合い、秋学期の始まりを告げる。
とりあえず、怒濤の秋学期を乗り切る笑
noteを一切更新していなかったら、お察しください。笑
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三輪先生に御礼のメールを送ったら、かなりの長文の最後に、
「喜んでくださいましたのは望外の喜びです。涙を流されるとは思いませんでした」なんてご丁寧な優しいメールをいただきました。(泣いたこと、ひいてないといいな笑)