連鎖を断ち切るために、わたしは学ぶ。
Twitterで仲良くさせてもらっているtowaさんの先日のツイート、コツンと心臓をつつかれた感覚がした。
「自分がされて嫌だったことを、次の世代に同じようにするなんてありえない!」って、返すのがフツウだろう。
私ももちろん、自分がされていやだったことは相手に同じようにしたくない。それはもう、明白だ。
いろんなところで何度も言ったり書いているけれど、私自身は新卒時代は本当にしごきにしごかれた。そして、ある日突然ぱたりと出勤できなくなり、そのままフェードアウトした。神様はあの試練をなんのために与えたのか、今も、答えはどこを探しても見つからない。
なんとか、少しでも大事に育ててもらった記憶をすみずみまで探すけど、新人時代のページのどこをさかのぼっても、一瞬たりとも見つけられない。
私は入職して、4月末に初めての夜勤があった。
入職して2ヶ月、6月には人工呼吸器がついた患者の受け持ちがついていた。
わけわからん状態で初めて16時間起きるというのを体験し、
とんでもない管がついた患者さんを目の前にしたときは、怖くて全身血の気が引いた。
そんな私が、だ。
新人さんとの教育面談で、教育担当を担う主任さんに、こんな言葉を放った。
「新人さんたちが冬から夜勤入るってちょっと遅くないですかね?もっと早くから入ったほうが重症管理にも関われるし、学びにもなると思うんです。私の時なんて6月に入りましたよー!」
本心でそう言ったのか、夜勤明けで疲れていたのか、生理前だったのかわからない。
だけど、冷静に振り返って、自分が「私の時なんて」って言葉を使って、そんな提案をした事実が、おそろしいくらいに悲しかった。
あの時、「私の時なんてもっとひどかった」「私の時なんてもっと怖い先輩たくさんいた」って言ってた当時の先輩と同じじゃないか。
自分の思考が狂わしいほど嫌悪感でいっぱいになった。
主任さんは、
「新人さんは戦力というより、この1年で看護師としての感性を育てたいんだよね。五感を研ぎ澄まして、ちょっとでもあれって気づけたり、患者さんが気持ちのいい環境ってなんだろうって考えられたり。そういうのをOJTの先輩と一緒に学べるのって今しかないからさ」
返す言葉がなかった。
あれだけ私は自分と同じようにしたくない、と誓ったのに。
自分が受けられなかった教育を、次の世代にはしたいと思って留学したのに。
それでも、悲しいことに、私の心のどこかには、「自分はそうされたから」「自分の時はこうだったから」という考え方の片鱗が残っていたんだ、と。
さすがの主任さんは全てお見通しで、
「うーん、たぶん、寺本さんはサポートしたい!っていう気持ちと、これくらいはできてほしいっていう思いの狭間にいるのかもね。」
自分はそんなふうに育ててもらえなかったから「悔しい」のか。
自分の誤った育てられ方をなんとか「肯定」したかったのか。
どっちも正解で、どっちも違う気がする。
もしかしたら、新人さんというフィルターを通して、自分がされた教育は間違っていない、だって私は今こんなに成長できているんだから なんて答え合わせを無意識のうちにしたかったのかもしれない。
記憶に刻み込まれた思考は、そう簡単に覆らないのね。
自分がされて嬉しかったことを同じように相手に返すこと。
自分がされて苦しかったことを同じように相手にしないこと。
圧倒的に、後者の方が難しいのかもしれないというのが持論だ。
こうされて嬉しかった、という正解を自分の中に持っていないから、手札がないから、どうすればいいのかがわからなくなる。
「経験則」が私にはどうあがいてもできないのである。
そのために、理論やモデルを学びつづけるんじゃないか、と喝を入れ直した。
過去の経験則が誤っているなら、これから自分で手札を増やしていくしかない。そうじゃないと、思考レベルでずっと、重たい鎖に繋がれたままだから。エビデンスに基づく教育を、理論を、学び続けないと私の思考はどんどん「私の時なんて」に傾いていってしまう。それは、経験学習の残酷な側面でもあり、これからも私は、それと向き合い続けなければいけない。
本当に、今の自分の接し方は後世にずっと繋がっていってしまう。よくも、わるくも。
どこかで、この連鎖を断ち切らないと、ずっと続いてしまうから。
私は自分で、連鎖を断ち切りたいと思う。
大学院まで行って、成人学習専攻して、それでもなおこんな思考になってる自分を、認めて、受け入れて、変えていかないと侵食されてしまう。
臨床戻って、自分の嫌な部分をこれでもかというくらい突きつけられるけど、一つ一つしっかりと向き合って、周りに相談して、みんなで襷を次の世代に繋げていきたい。