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10/28早朝、ガスコンロの音で

10/27は友人の命日だった。
彼は2016/10/27の早朝、一人暮らしの一室で自ら命を絶った。

家族や、わたしのような彼の友人が、その事実を知るのはこの日から少し後のこと。すべてが終わったその部屋では心ばかりの遺書が用意され、残された者が困らないよう、スマホを解除するのに必要なパスワードなどの情報が紙切れにまとめられていたのだとか。

「偶然の出来事」に、何もかも”意味”があるのだ(それこそスピリチュアル的な意味が)と結びつけるのは、好ましくないと思う。意味があると考えた方が気持ちが救われることは多いし、悪いことだとは思わない。でも、すべてがそのような考え方だと、浮世離れしすぎてしまう気がした。

ただ、この友人とのことに関しては、そんなわたしでも「意味があるのかも」と考えざるを得ない出来事が多い。彼の死後1年のあいだ、わたしはその死を心から信じられずにいた。心のどこかで、彼はまだこの世のどこかで生きているのでは?と考えていたのだ。そんな彼の死から1年が経った頃、友人が夢に出てきたのである。
最初わたしは、久しぶりに会う友人の変わらぬ姿に、無邪気にはしゃいだ。たくさん話したいことがあって、興奮気味に話しかけるわたしに、彼はいつもの含んだような笑顔を見せながら、小さく頷いていた。
しかし、わたしは急に我にかえる。彼はもうこの世に居なくて、これが夢の中であることに気づくのだ。そこで、ずっと抱いていた疑問をぶつける。「ねぇ、生きてる?」すると彼は、黙って首を振った。
この夢を経てわたしは、彼が本当にこの世に居ないのだという事実を、納得感を持って受け入れられるようになった。

以来、友人はたまに夢に出てくる。大体が一緒に大学で授業を受けていたり、キャンバスのような場所を一緒に歩いていたりと、一緒に学生時代を過ごしていた時の風景をなぞるようなシチュエーションが多い。そんな夢の中でハッと我にかえることも少なくなく、あるとき「帰ってこないの?」と疑問を口にしたことがある。すると彼は「もう遠くに行ってるから」と答えた。それからは、夢で彼と会うとアレコレ詮索せず、久しぶりに会う友人との時間を楽しく過ごすことにした。

そんな友人は、最近夢に現れない。彼の命日の当日、久しぶりに夢に出てくれ、なんてツイートをしたが、無論素直に夢に出演してくれることはなかった。
――しかしながら命日翌日の2022/10/28早朝、わたしは謎の音に叩き起こされたのである。

それはキッチンの方から、ピーッピーッと聞こえてくる。少し間をおいてまた、ピーッピーッ…。どうやら現実のことらしいと、すっかり冴え渡った目でリビングに入ってゆくと、出窓の猫ベッドで横になっている猫と目が合ったので、軽く手をあげ挨拶。それからキッチンの方へ歩み寄る。音が再び鳴り出すのを待っていると、その音は「ガスコンロ」から聞こえてきた。
よく見ると、2口あるガスコンロのうち左側のコンロの点火ボタンが沈みこみ、押された状態になっている。もちろんガスの元栓は閉めているから、火がつくことはないのだけど…。

ガス栓が閉まった状態で点火ボタンを押すと、警告音が鳴ることは知っている。たまにキッチンで作業していると太腿あたりでボタンを押し込んでしまうことがあり、ヤメテクレーとコンロが声を出すのだ。だが、こんな朝っぱらにボタンを押下するシチュエーションが発生するのはおかしい。当たり前だが、わたしはついさっきまで寝室で寝ていたからだ。そして、何かが倒れてこのボタンが押された…といった形跡も何もなかった。
もちろん、猫が悪戯したケースも考えたが、正直この可能性は極めて低い。うちの猫は非常に慎重な性格で、人間の生活エリアに踏み込むことを極端に避ける。人間の荷物を踏みつけたりと”人間の物”に触れることすら避ける猫なので、当然キッチンやシンクの上に上がることはない。無論、コンロ付近に猫を誘惑するような食べ物類も置いてなかったから、そもそも猫がキッチンに近づく理由もないのだ。

念のため、備え付けのペットカメラの映像も見てみた。すると、例の音が鳴り始めるまで、猫はゆったりとベッドで寝ていた。なんなら音が鳴ってからは、驚いていったんその場を離れたくらいだ。
わたしは何度か映像を見返す。例の音が鳴り始めたのは早朝5:23。この音が鳴り始め、猫は一度出窓から姿を消す。それからもう一度出窓に戻り、やがてわたしが現れ、押下されたままのボタンをもう一度押し込んだのだろう。音が止んだ。(ペットカメラの位置的にわたしの姿や、コンロでの行動は映っていなかったが、猫の視線的にわたしが部屋に入ってきたであろうことは確認できた)

例の音がなくなったあと、わたしはリビングの椅子に座り、猫と、猫の後ろに広がる早朝の白んだ風景を呆然と眺め、これから朝が始まる合図のような小さな鳥の声を聞いた。この時すでにある思いが胸を掠めた。しかしそれがあまりに都合の良い解釈なので、口にするのは憚られた。

わたしは「もしかして君はこの時間に亡くなったのかい?」と思ったのだ。彼が命を経った時間は明け方と聞いていたが、具体的な時間までは分かっていない。しかしわたしは、彼がどんな音を聞き、目にしたとしたらどんな景色を見て、命を終えていったのか知りたくてたまらなかった。それがこんな形で明かされたのだとしたら…と捉えるのは、あまりにも都合が良すぎるだろうか。
都合が良すぎるどころか、あまりに頓珍漢だろう。まるで悪ふざけのようにガスコンロの警告音を鳴らし存在感を示し、長年抱いていた疑問の答え合わせをする。…まあ、あの友人なら、そしてわたしに対してなら、こんなことやってのけるだろう。我々は実に可愛らしい”小悪友”だったからだ。

とはいえ、急に聞きなれない警告音が鳴ったら驚くよ。正直この手法は金輪際やめて欲しい。次はもう少し常識的な手法でよろしく頼む。

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