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【過去エッセイ】オレンジ色の月の思い出
※2021-09-25/はてなブログ(ヒガシノメーコ記)で掲載したエッセイ。
”中秋の名月”ということで今週は本当に月が綺麗だった。実は最近引っ越しをし、前回の住まいよりも見晴らしのいい部屋で過ごしているので、月がよく見えた。ベランダに出て月がゆっくりと昇っていく様子を観察した日もあった。
月はオレンジの色味(赤み)が強いときがある。大きくて丸い月が出るとき、そんなオレンジがかった月を見かけることが多い気がする。そういう月を見ると、わたしはいつも「ケンちゃんのお母さん」を思い出す。
幼少期、関西で過ごしていたわたしには、幼稚園にケンちゃんという友達がいた。ケンちゃんは、その年頃にありがちな活発で手が付けられないタイプの男の子ではなく、優しくてどこか思慮深さもあった。ケンちゃんは末っ子で、年の離れたお姉さんがいた。このお姉さんもとても優しく、可愛らしいキャラクターがあしらわれたお菓子入りの缶をわたしにプレゼントしてくれたこともあった。(その缶はわたしの宝物入れとなり、砂場で掘り出した小さな貝や、綺麗な色のビービー玉を入れるなどした)そんなケンちゃんのお母さんは、我々が幼稚園に通っているとき、突然亡くなってしまった。
ケンちゃんと親しくしていたわたし、そしてわたしの母は葬儀に参列した。その日は雨だった気もするし、晴れだったような気もする。園児だったわたしは”お葬式”が何たるかをつぶさに理解しているわけではなかったが、「お別れ」をしていることは何となく分かっていたのではないだろうか。母に与えられたのど飴を舐めて、なるべく静かにしていたのは覚えている。
葬儀中、ケンちゃんはご家族の誰かに肩を抱かれていた。ケンちゃんは困ったように眉を寄せるような表情をたびたびする子どもだったけれど、その日のケンちゃんはやはり眉を中央に寄せ、俯いていた。
葬儀を終えたその日の夜、夜空にはオレンジがかった大きな月が浮かんでいた。母と一緒にその月を見上げていてると、母が「あの月はケンちゃんのお母さんのようだ」と言った。
ケンちゃんのお母さんは、にこにこと温かい太陽のような笑顔を浮かべる素敵な女性だった。そんな彼女の笑顔を月に投影し、「たしかにあの月はケンちゃんのお母さんのようだ」とわたしも頷く。そして今でもわたしは、おぼろげながらあの素敵な笑顔を頭に思い描くことができる。それほどオレンジ色の月は印象的であり、ケンちゃんのお母さんが亡くなったことも深く心に刻まれた。
そんなわけで、わたしはオレンジ色の強い月を見かけると、このときの出来事が自然と思い出されるのだ。ちなみに月がオレンジがかる原理と言うのは、大気による影響で、いわゆる朝日や夕日が赤くなるのと同様の原理なのだとか。
ほどなくしてわたしは関西を離れてしまったので、その後のケンちゃんの様子は一切知らない。けれど、この地球のどこかでケンちゃんが同じオレンジ色の月を眺めていたら、ちょっといい感じだなぁなんて考えている。
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