#53 映画演出とクラシック ~G線上のアリア~
バッハのこの曲は、誰しもが聞いたことがあるだろう。
今日は、G線上のアリアを久々に聴いていた。
イヤホンに広がる荘厳な世界が鳥肌を立たせた。
一歩ずつゆっくり歩いていくようなベースと、芯のあるバイオリンと少しのオルガンの音が程よく心地が良くて思わず目を瞑ってしまう。
クラシックを聴くと、神聖な気持ちになる。それは、私が幼少期にキリスト教を信仰している学校に通っていたからだろうか。マリア様の銅像を思い出して、思わず手を組み跪きたくなる。優しい光に包まれた幼少期を思い出し、心が暖かくなる。同時に、その時の神聖な心、純真無垢な心を思い出す。
映画などのワンシーンでもクラシックが使われることも多々ある。
綺麗だが歪みのある演出、クラシックの神聖さを前面に出した演出、途轍もなく狂気な様を描く演出、のように様々な解釈があると思う。
大きく二つに分けられるだろう。+と-である。
一つ目としては、+に捉えられることがある。神聖さ、光り輝く未来といったような前向きな映像に合わせて使われる。
二つ目としては、-な演出として使われることが多い。どちらかというと、こちらの方が多いのではないだろうか。映画というのは、人間の汚く、哀れで、荒んだ様をも描いている。そんなシーンにクラシックを持ち込むことでより観客を映画に引き込むことが出来るのではないかと経験則ながら考えている。
また、先ほども書いた、「狂気」なシーンと特に相性がいいのではないかと考えている。非常に心情を揺さぶる効果があると実感している。これはクラシックの神聖さを破壊し、逆説的に用いることで、より「狂気さ」を強調させることが出来ているからだろう。
クラシックはどの音楽よりも心に訴えかける力を持っているのではないだろうか。今日、クラシックはあまり聴かれていないのではないかと思う。しかし、この自粛生活期間に今一度クラシックの魅力に取りつかれ、神聖で純真無垢だった、あの日々を思い出してもいいのかもしれない。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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