私なら『人間』こう作るけどな
今日帰り道、『SIRUP』の曲を聴いて泣きそうになった
どうやら、
このひとの作る音楽と対照的に、
わたしの『孤独』を
アリアリと感じてしまって、
心がしにそう
になってるらしい
"社会に対して身を委ねて
今の自分の感覚に身を委ねて
ただこの場にいるyou&me
Grooveに体をゆらして朝まで踊ろうze"
(こんなダサい歌詞じゃないです そんなGrooveを感じたということです)
彼が作っている音楽は、『殻』が開かれすぎている
社会不信なわたしにとって、このエモくて優しいグルーヴィーな音楽に身を委ねて、
『今この瞬間』に心が開いていかないことが、
私のなかの孤独な自分をより認識させてしまって、
泣きそうになった
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足先を、いつも「手を洗う」のと同じように洗った。
いつもは髪、から体、上から下、に洗う。
足指を触った手で、
顔や髪を洗いたくないから。
今日、なにげなく足指を丁寧に洗った
そのあと、
そのまま下から上にかけて、体の面を洗っていった。
そうすると、上半身、脇の面に到達した時点で、
そこから上は、異様に骨ばった細かなパーツが増えることに気づく。
腕は良しとして、
首・肩・肩甲骨は異常だ。カマキリみたいに細い関節が多い。
そこまで洗うと、視界に入る黒い髪に気づく。
この、毛の量。
これだけ全身、"面"で構成されてる中で、明らかに異常な量がここに密集している。
現代人が「落武者」を見て感じる違和感と同じくらい、私は自分の頭部の毛の量が、異様な量だと気づいた。
人間って、頭に毛がこんなに密集している生き物だったのか。
ふだんはのけ反って、背中に泡が流れるように髪を洗っていたのが、信じられなくなった。同時に、「"頭"を洗う」という言葉もよくわからなくなった。
どう考えても、"面"の割合が少ない方へ、流すべきだ。
こっちが、『体の先の部分』なのだから。
全身こんなにツルッとしているのに、頭の、しかも後ろ半分に毛が密集って、どんだけこの箇所、大事なんだよ。
普段この部分を大事だと思って生きてること、急所だな と意識すること、あんまりない。
そんなに大事なら、体の先じゃなくて中心に作ればいいのに。
先端って明らかに危ないだろ。
同時に、
頭の表半分は、繊細で小さな眼球とか鼻とか舌とかちみっこいパーツを密集させててさ、ここぶっ壊れたらもう終わるよ?
そうだな、
わたしなら、、、
こうする。
人間こうデザインするわ。
と思って風呂から出てすぐにスケッチ(?)をした。
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風呂から出た世界はいつも別の世界であるはずなのに。
いつも同じ環境、建物の中にいるから、
繰り返しの日常に見えているだけ.
ということに、
わたしが毎日気づけるようになるには、どれくらいかかるだろう。
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