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読書感想 地域移行の時代に問われる部活動の「厳しさ」

最近、首がもげるほどうなづいた事柄があった。
「朝の目覚めはだいたい眠いものだ。スッキリ目覚めるのではなく、動いて体を目覚めさせるのだ。」
ほー。なるほど!
いつも朝スッキリ起きられなくて、朝から
「今日も眠い。スッキリ目覚められなかった。最悪だ。」
と負の感情でスタートしてしまう。

でも、上記の事柄を聞いて、
「朝は眠いものなんだから、そこに一喜一憂しても仕方がない。」
と思えるようになった。
目覚めたときにスパッと動けなくても全然OK!

今日の朝も眠たさMAXだったが、「通常!通常!OK!OK!」
と自分の甘えを見せた途端、がっつり二度寝。

おーい!自分の身体!振れ幅がデカいんじゃい!
スッキリじゃなくてもいいと思っただけで、起きなくていい、もう一回寝ていいとは言ってないぞ!

ちょうどいいって難しい。

さて、今日も読書感想をしていきたいと思う。
「砂地に種をまいて、花が咲く 佐藤和也著」である。
新潟医療福祉大学の硬式野球部の総監督をされている方の本。




自伝はよく読む。部活動の地域移行が2023年度からスタートしている点が子どもをもつ身として気になる動きではあるので、手に取った。

中高大と運動部活動をやってきた経験もあり、野球部って昔ながらの部分を多く持ち合わせた部活だなと感じている。だからこそ、甲子園という長く愛される全国大会運営を行うことができているのも事実。
高校生の時はすごく理不尽に感じていたもん。同じ全国大会でも野球ばかり大々的に取り上げられて、私がやっていたスポーツなんかは全国大会に行ってもスポットライトが当たりにくい。他と比較しないで自分ができることをやるしかないじゃん!と今だと言えるが、高校生のときは「ずっる!」と思っていた。幼稚です。だって、野球部で県大会でベスト8くらいまでいくと人気者になって、モテるんですもん。「モテる」は高校生の最大の関心事ですから。。。

反面、野球部は坊主にしないといけないという暗黙のルールがありがち。最近では、坊主でなくても部活を進めている学校も増えてきている。
変わってきているね。

要するに、野球部は独特の文化があって、周囲の目が「野球とはこうあるべし」と見ていることが大いにあって、刷り込みが強いスポーツだということ。

著書にも随所に出てくる「許可をとる」ということ。
大事な試合前なのだが、約束してしまった女子バレー部とのBBQに行ってもいいかのお伺いを立てる。
教育実習があって大事な試合に出られなくなるときに教育実習に行ってもいいかとお伺いを立てる。

もちろん好き放題やっていいわけではない。
しかし、真っ当な生活や学習をしていくための活動は、わざわざ監督に「許可をとる」ことでもないようにも感じる。

そして著書出てくる「強いチームって厳しいのでしょう」という言葉。

ちなみに佐藤監督は、厳しいを「自由を与える。だけど自由だから厳しい」と述べている。
自分に対する厳しさがなければ上達しないという意味だ。


これからの部活動の地域移行は、この「厳しさ」をどう捉えるのかということが問われてくるように思う。
勝利至上主義ではないと言いつつ、大会は行われるわけである。
競争という環境下に子どもたちは飛び込む。
そしてその環境で、勝利のために日々鍛錬を繰り返す。
そのときに「厳しさ」が必要になってくるだろう。

今までは誰か(多くの場合は顧問)が引っ張る、導く指導が主流だった。
昨今コンプライアンスやらハラスメントやらで「厳しさ」が前に出にくくなっている。「〜させる」といったことができにくくなる世の中になりつつあると感じる。

だからこそ、子どもが「〜する」「〜したい」という自発的・自律的な行動が求められるのである。

私が考えるキーワードは「親の関わり」だと思っている。

自分の家族は自分が何とかするというマインドがこれからの時代大事になってくるのだと思う。

そして、部活動の地域移行の本丸は「野球部」だと思っている。

「野球部」が変わった暁には、他の部活がこぞって変わってくるのではないか。

我が子の部活動やスポーツに触れる環境が心動くものになるように私も親として真剣に考えていきたい。

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