読書感想 セルフコンパッションの肝は黒歴史の捉え
今日は頑張って30km走をした。
もう少しでマラソン大会があるからだ。
結果から言うと、超キツかった。。。
これであと12.195kmも走れるのだろうかと絶望。
今日は絶望を味わえただけでも、OKなのか?
いやいや、あと1ヶ月という今に絶望している場合ではない泣
不思議なもので、初めの10kmを走っていると、
「この感じだと、残りの20kmも余裕かも。。。ニコ」
と思えるのだ。
しかし、25kmあたりからガッと脚に重さがかかる。
大臀筋と半膜様筋間あたりが痛む。
ハムストリングス、ふくらはぎが超痛い。
地獄の5kmがスタート。
あんなに余裕で10km走っていたのに、5kmが憂鬱極まりない。
痛みに弱いなと自己分析。再確認した。
どれだけ余裕な時間を作り続けられるか。
そのためにも、実は絶望タイムも必要なのだとも思っている。
さて、今日も読書感想をしていく。
書籍は、「すぐれたリーダーほど自分にやさしい 〜疲れ切らずに活躍するセルフコンパッションの技術〜 若杉忠弘著」である。
Voicyで荒木博行さんと若杉さんが対談をして、お話しされている内容に強く共感したので、早速ポチり。
本当にいい時代になったなと。
欲しいと思った本をすぐに買うことができる。
昔だったらメモっといて、時間を見つけて本屋へ。
大体は読みたい熱は冷めて、読むことはない。。。みたいな。
デメリットはすぐポチれるので、お財布事情は苦しくなるが、それよりも自己研鑽は大きいと読む。
だからいいのだ、と自分で自分を納得させる。
余談はこれくらいにして、本題。
感想の結論から。
「これから自己肯定感のアップデートとして、セルフコンパッションが大事と叫ばれそうだ。なぜならセルフコンパッションは、しなやかに生きていくために必要な技術だと考えるから。」
まず、用語の定義から。
セルフコンパッションとは、「自分にやさしくすること」(本文の通り)
自己肯定感とは、「ありのままの自分を肯定する感覚」(GLOBIS HPより)
しなやかに生きるとは、「状況に応じて自分らしく柔軟にコントロールし、完璧主義にとらわれずに適応する生き方」(東洋経済onlineより)
しなやかに生きることを目的とすると言っているのは、紛れもなく私である。笑
だって、変化は間違いなく社会で大きなトレンドだから、その変化に自分を適応させていく、その変化を楽しめることが幸せに生きていくために必要だと考えるから。
どうして、セルフコンパッションがしなやかに生きるために必要な技術だと考えるのか。
状況に応じて自分らしく柔軟にコントロールするというところの「自分らしく」という言葉にかかっている。
「自分らしく」を実現するために、セルフコンパッションは必要な技術だと考える。
セルフコンパッションの特徴は以下の3点。
①マインドフルネス…経験している感情を偏りなく受け入れ、バランスの取れた見方をする。
②共通の人間性…自分だけでなく、人間なら同じように苦しむことを思い出す。
③自分へのやさしさ…自分に思いやりと励ましの言葉をかける。
要するに「心が整っていく」ということ。
(一気にざっくりしたざっくりした言い方に笑)
心が整っていなければ、自分らしく柔軟にコントロールなんてできない。
今に追われて、いつもギリギリ。
自己嫌悪に陥る。
じゃあそれって、自己肯定感とは違うの?という問いが沸々と湧き出るだろう。
違いは端的に言えば、評価があるかないかということ。
自己肯定感(セルフエスティーム)は、「自分自身をどれくらいポジティブに評価しているか」という度合いである。
セルフコンパッションは、自分への良し悪しに評価を一切必要としない。
どんなにダメな自分も受け入れる。
ここがミソになりそう。
上記で述べた特徴の2つ目、共通の人間性の部分。
自分だけでなく、人間なら同じように苦しむことを思い出す。
ここに心から腹落ちできるかが、セルフエスティームからセルフコンパッションに私の心が移行できるか。
思い出したのが、「大学の先生との折り合いの悪さ」である。
私は大学時代かなりの劣等生。(いや今もです、、、)
特にコミュニケーション能力の低さが先生として、気に入らなかったのだろう。(いや今もです、、、)
できるだけコミュニケーションをとりたくないと思っていながらも、どうしても会話しないといけなくなると、雰囲気は最悪。ガン詰される始末。
そのときに、心に広がっていった感情は、
「何で私だけ」
である。
これを「自分だけでなく、人間なら同じように苦しむことを思い出す」ができるかどうか。
言わずもがな、大学時代の私は到底そう思えなかった。
今も同じような状況になったら、今なら皆同じように苦しむのかと考えられるのか。
シチュエーションは違えど、共通の人間性を感じられるのか。考えられるのか。
この黒歴史に当たる経験をどう捉えられるのかが、セルフコンパッションの技術の有無に関わるし、その先にはしなやかに生きていく自分を目指していけるのだろう。