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児童生徒個々の良さを当人に理解させるには。
こんばんは、ももんがです。
最近の学校現場では、「観点別評価」が導入されていますが実際の運用上うまくいっているのでしょうか?
わたし自身が児童生徒のときには相対評価でしたので、自分の評価と他人の評価の違いについて考えることもありました。そしてわたしの足りない部分や、評価がされている部分について理解していました。
そのことから他の人との評価の違いをうまく利用し、こころの安定にもつながっていたと思います。
たとえばわたしは運動神経がなく美的センスもありません。ですので体育や美術が「だいきらい」でした。もっと言うと漢字の書き取りもきらいだし、二次関数とかもきらい、歴史や地理を覚えるのもきらい。英単語は覚えられないしリスニングもできない。理科も物理法則もきらい。
でも、技術でものを作るのは好きだったし、体のしくみなどの保健は好き。単純な計算なら電卓を使って楽しい。法律や社会のしくみを知ることのできる「公民」はすき。英語も外国の方が話している姿がかっこいいと思うし、今ではLinuxやOSSを使うときには、英語の情報を読み解くのは楽しい。理科は化学実験は大好き。
だからわたしは、学校という枠組みでもいやにならずに通学でき、学校が嫌いにならなかったから、「教諭」にもなった。
過去のデメリットを解消するために、新しい方法が試されていますが本当にそれがデメリットを上回るメリットを出しているのか、その検証をするべきだと思います。
わたしの勤務した高校では、「他者との関わり」が「苦手と思い込んでいる」「必要がないと思いこんでいる」生徒がいました。別にクラスメイト全員と仲良くする必要はありませんが、「自分の人生のいろどりを支えてくれる友達がいてもいい」「困ったときにはお互いに助け合ってもいい」くらいにはなってほしいと思っていました。
わたしは1年生の授業の1回目に行う内容で「他己紹介」を必ずやりました。お互いに簡単な聞き取りをして、それをクラス全員の前で聞き取りをした相手の内容を発表をする。聞き取りをしなければいけない内容は3〜5問程度にして、答えやすい質問と聞き手が自由にできる問題を設定しておくのがコツです。
そして発表のときは、教師としては順番を促すのと終わったら拍手を聞いている全員ですることを促すだけです。
そしてその時間の最後に、「たくさんの友だちを無理につくる必要はないけど、困ったときに相談できる、嬉しいことを一緒によろこべる友だちをつくれるといいですね。」だけを伝えます。
それからの学校生活では、授業・実習を遅刻するさいなどに誰も知らない上業のときに「ともだちでなくてもクラスメイトや実習班のひとに一言伝言を頼みなさい。」と伝えていました。遅刻した事自体はわたしにとってはほとんど問題ないとかんがえていました。トイレにいきたくなったや体調が悪いなど生徒にも都合があるし、本人がどうしようもないこともあるのですから。
そもそも体調がわるいのなら、授業にでないで保健室でしっかり休んで次の授業から受けてくれればいいと思っていました。
教科書を忘れようが、宿題を忘れようが、担当であるわたしに「報告・相談」をしてくれればどうにかなります。実習報告書の提出期限がものすごく厳しい学科にいたこともありますが、報告書が出せないことを相談してくれれば「いつだせるのか」を確認した上で提出期限を待つことができます。そしてそのほうが良い報告書ができると思っていました。
提出期限を待つ期間もわたしは生徒本人に決めてもらうことが多かったです。たいがい最初は「あした提出します」というのですが、運動部で平日は遅くまで練習があり練習試合があることもありますので、「本当にあしたでいいの?自分であしたと期限を切ったら、再延長ができないよ。大丈夫?」ここで生徒が「あっ」という顔をしたときは、「週末に試合とかない?」と質問をかけ確認をします。合宿や試合があることを言ってくれたら、「最大で火曜日かな?」と生徒に伝え、「で報告書を提出してくれるのは、朝じゃなくて、1時間目の休み時間以降昼休みまでにして。朝は先生方の打ち合わせ会議があるし、あせって交通事故があってもこまるから。申し訳ないけど朝一はやめてね。」と伝えていました。
このようなやりとりを1年生の夏休み前までにおこなうと、クラス全員がわたしには、「報告・相談」するのがいいということに気づきます。そうなると大きな問題が起こる前に、わたしに問題の芽が出てきた早い段階ではなしがくることが多くなっていました。
「工業」という分野では、おそらく一番大事であろう「報告・相談・連絡」をする基礎ができてきます。わたしが高校生のときもこのような考え方の先生がいたのです。何も言わずに報告書を未提出よりも、よっぽど評価が下がらずなんとかなるものです。
わたし的には怪我やいのちに関わらないもの、こころを傷つけ殺すものでなければいいのです。これに関わるものであるときには、しっかりと理解できるまで話をすることにしていました。
こんな考え方の教員は少なくなってきているのかもしれません。
教員が児童生徒に対して余裕がない指導をするから、児童生徒も余裕がなくなり、そのためその保護者も余裕がなくなる。すると・・・。
悪循環ですね。