弱者が「わきまえるべき」理由
戦略を間違えた弱者(少数派)は目的を達成できないことを理詰めで述べようと思います。
とても大雑把な区分をすると・・・
伊是名氏(電動車いす) VS 一般健常者(様々)
野党蓮舫氏(支持率3%)VS 与党支持者(支持率30%)
田嶋陽子氏(フェミニズム) VS 女性の権利に対して理解の低い男社会
ゆたぼん君(学校不要) VS 世間一般(通学経験者)
日本での刺青擁護 VS 日本での刺青拒否
などなど。この左サイドの陣営について「戦略を変えないと目的は達成できないよ」という話を提案してみます。
私が見る限り、左サイドの方々は「自分と意見が異なる連中はおかしい」という
批判的で排他的、強硬なスタイルをとっているように見うけられます。
「私はわきまえない!」というところでしょうか。
そしてそのスタイルでは勝利出来ない(目的を達成できない)という指摘をします。
まず日本は民主主義国家です。一部権力者や上級国民的な例外はあるにせよ、なんだかんだで「多数決」で物事が決まることは多いわけです。
「戦争は数だよ、兄貴!」byドズル閣下 なのです。
つまり少数派こそ多数派の一部に理解や共感を得て、味方にとりこんでいき、多数派にならなければならないわけです。
上記の方々のように「自分の意見を理解できない低能なわからず屋どもが!」というスタンスでいると同じ意見の身内には良くぞ言ってくれた!」とヤンヤの喝采を浴びることはできるでしょう。
ただ、基本的に味方は増えません。批判や攻撃を受けた側は、攻撃してきた相手に対して基本的には敵対心を持ちます。「広い心で弱者に寛容であれ」といって無限の愛をそそげる奇特な方はごく少数でしょう。北風と太陽とでも言いましょうか。北風を歓迎してマントを脱ぐ人は少ないのです。
「自分と異なる意見や立場、価値観の人を攻撃、排斥しつづける限り未来永劫多数派にはなれない」のです。むしろ少数派だからこそへりくだってでも「多数派を説得して味方に引き入れる」姿勢が問われるわけです。
むろん、多数派が常に正しいと言ってるわけではありません。ただ多数派にならなければ現代日本では達成しづらい目的がかなり多いのです。
なので少数派が「当然の権利だ!」として多数派を圧迫すると反感を買い、逆襲を受けます。社会資源は有限だから「パイの分け合い(分捕り合戦)」です。
たとえばLGBTの方用のトイレや更衣室を男性、女性と同じ広さ、同じ数だけ設置すると割を食った男性、女性は「LGBT配慮をすると自分たちが損をする」となるわけです。それでも心の広い一部はLGBTを受け入れてくれるでしょうが、大多数は「外慮しすぎて逆差別になってる」と反発することでしょう(私もそうです)。少数派こそ程よくしたたかに「わきまえた主張をする必要がある」わけです。
自分の意見は「自分の領域」にあるように、相手の意見は「相手の領域」にあります。
相手の意見を変えてもらう場合、「相手の許可や同意が必要」なのです。武力や脅迫で相手の意見を変えることはできるでしょうが、それはしょせん表面だけの話であって真に味方になってもらえているとは言えないでしょう。
あまり強い言葉を使うなよ、(議論が)弱く見えるぞ
と先日記載しましたが、より正確には「強い言葉を使う連中は戦略がわかってないという自己紹介になりますよ」とすべきだったかもしれません。
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