運命のプランシングホース(5)
■フォードvsフェラーリ
60年代前半ル・マン6連覇を続けるフェラーリに、新大陸から魔の手が忍び寄っていた。
「イタリアのフェラーリ、買収できるのか?」
「エンツォ・フェラーリはなかなかの曲者です。相当な値段を言ってます。」
1960年代、世界最大の自動車メーカー、フォードを率いるヘンリー・フォード2世はフェラーリを買収しようと画策した。しかし、エンツォは交渉のテーブルに座ったものの、裏でイタリアのフィアットとの提携を結んでしまった。やや恥をかかされるカタチで袖にされたヘンリーフォード2世は激昂、その維新をかけて憎きフェラーリを叩き潰すために、7リッターの巨大心臓を持つ最強のGT、フォードGT40を擁し、海を越えヨーロッパにやってくるのである。
どうも、このあたりの車メーカー同士の話はほとんど、不良学生の縄張り争いのようなのだが、ともかくルマン24時間耐久レースがその勝負の場となった。初年度はフェラーリに惜敗。こうなるとフォードも一気に頭に血が上り、翌1966年最新のマークⅡとGT40合わせて、8台出走という物量作戦に出、象がネズミをなぶるように一気にルマン初勝利を手にし、翌年は怪物マークⅣで2年連続勝利を奪っていった。
惨敗フェラーリである。だが、大きな敵の隙を狙って噛み付くフェラーリはヒーローであり、敵の半分くらいの排気量のエンジンでデッドヒートを演じる姿はその名を挙げるのに十分だった。結果、この時期からスポーツカー選手権はF1を凌ぐほど急速に人気が高まっていった。そしてエンツォ・フェラーリはこの“対米戦争”でヨーロッパの盟主として君臨した。
ちなみに、フェラーリ史上最も美しいといわれる330P4はその時代のレースカー。1966年ルマンでの負け車だが、67年はその復讐とばかりに敵地アメリカに乗り込み、デイトナ24時間耐久レースで1~3位を独占するという快挙を成し遂げている。70年代初め、世界最速といわれ話題をさらったロードカー、フェラーリ365B4の通称“デイトナ”はそこからきている。負けながらも、誇るところは忘れないのがまた、フェラーリである。
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