日記 幸福な食卓
夕方。夕飯の準備を終わらせてから、こどもたちを連れて近くの公園まで走りに行った。6歳次女の通う幼稚園の運動会で保護者リレーの選手に選ばれてしまったので、これは事前に練習しておかねばそのまま病院までバトンをリレーすることになりそうなほどの運動不足マンこと私である。
公園に着くなり「じゃーいくねー!」といきなり全力疾走するこどもたちを横目に、しっかりと準備運動をして、まずはゆっくりとジョギングから始める。体が運動にびっくりしないように少しずつ少しずつスピードを上げていく。私だけ真冬のマニュアル車みたいなぎこちなさだ。
それから7歳長女にスタートの合図を頼んで、1周100メートルもないくらいの小さいトラックを全力で走ってみた。よーいドン!で思いっきり爪先に力を入れて地面を蹴るが、イメージしているスピードと現実の差がすごい。半周くらいでもう息がゼエゼエしてくる。体のなまりは想像以上に重症なようだった。
わかりきったことだったけど、体力が落ちている。10代の頃はもっと体が軽かったのになあ。たくさん走り回って、寝たら翌日はまた元気だった。今思うと信じられない。充電の減りが早くなったスマホはバッテリーを交換すればいいけど、人間のバッテリーはどこで交換すればいいんでしょうか。
帰って夕飯を食べながら、ちょうどキングオブコントがやっていたのでテレビをつけてみた。わが家では普段はこどもたちが気を取られて食事が進まないのでテレビをつけないが、私が見たかったので親の特権で勝手につけた。妻に怒られるかなと思ったけど、今日は妻も上機嫌でニコニコとしていた。
それから私も妻もこどもたちもキングオブコントを夢中になって見た。食事はいつの間にかお菓子に変わって、お酒も進んで、みんなで笑って、コットンの人形劇にキャーキャー言って、長女がcacaoの野球のマネをして、私はどの組が好きだった〜とか言い合っていた。なんというか、こんなに満たされた気分になったのも久しぶりだった。
年をとるということを、いろんなものを失っていく過程と捉えるか、あるいはいろんなものを積み重ねていく過程と捉えるかで人生のクオリティは変わってくるんじゃないかという気がする。こういう瞬間があるのだからまあ年をとるというのも悪くないなと思うのだった。