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日記 ひとりでバーに行く

ずっとバーに対して憧れがあった。

友達と一緒にとか仕事の付き合いでは何度か行ったことがあるけど、そういえば1人きりで行った経験はない。行ってみたいけど、なんか恥ずかしくて行けない。

酒場という意味では居酒屋もバーも変わらないのだけど、なんかこう、オシャレ度がちがうだろう。バーは余裕のある大人がしっとりと飲む場所、というイメージがある。お酒を楽しむ余裕、時間を楽しむ余裕、そして人としての余裕。バーにはなんとなくそんなものが見えるような気がする。

いつかバーで孤独と乾杯し、1人で飲んでみたい。そう密かに思っていたところに思わぬチャンスがきた。金曜日に会社で飲み会があり、わいわいと飲んだ後にそれぞれが同期や仲良しと二次会に行く流れから漏れ、私はひとりぼっちになったのだった。

一次会でけっこう酔っていたし別にそのまま帰ってもよかったのだけど、まだ時間も早い。駅まで歩く道の途中にバーの看板を見かけ、これは!と思い酔いに任せてお店へ行ってみることにした。心のBGMはまさに「大人の階段のーぼるー」である。地下のお店だったので実際は下っていたのだけど。

意を決して、古びたドアを開ける。お店の中に入ると意外と広く、お客さんはカウンターの端に1人、その後ろにあるテーブル席に5人くらい。私が緊張しながら「1人です」と言うと、「ではこちらに」と落ち着き払った声でカウンターの真ん中の席を促された。

細長いメニュー表を開いてみると、知らないカタカナのお酒がたくさんある。これまでオシャレな酒場に来た時は全部モスコミュールで乗り切ってきたのでなにがなんだかわからない。

悩んでいると、メニュー表のはじめのページに今月のカクテルとあり、その下に「スノーマン¥1,200」と書かれていた。1200円。弐ノ弐ならビールと餃子を頼んでもお釣りが来る値段だなと思いつつ、自分の庶民的餃子的相場感に目をつむりいちかばちかこれを頼んでみることにした。旬のカクテルであれば場違いなことはないだろう。

目の前でマスターがお酒を作りだした。グラスに氷を入れて、まず氷だけをマドラーで混ぜる。それからシェイカーにいろんなお酒を入れていき、シャカシャカシャカシャカ……とシェイク。それをグラスにトクトクトク……と注いでいき、最後に赤い球を乗せて完成。なんて絵になる所作なんだろう。丁寧な仕事に見惚れてしまう。

そうやって出てきたのがこれ。

……ええと、なんだろうこれは。丁寧なピルクル?「でっかいグラスでいっぱい飲みたいの」みたいなわんぱくな感じとか、添えられたさくらんぼからどこか童貞感を感じるような気がしなくもないけど、これが旬でオシャレなカクテルなんだろう。

ゴクリと一口。うん。ピーチとヨーグルトの味がするな。でも甘ったるいわけでもなく、程よい酸味と苦味がある。複雑でめちゃくちゃおいしい。そして頭がふわふわするのでこれアルコール度数がけっこう高いぞ。私を酔わせてどうするつもりだろうか。

そうやって私がピルクルをちびちびと飲んでいると、やがてカウンターのひとつ席を開けた左隣に2人組の若い女性客が座った。上品な雰囲気の人だと思いきや、おもむろにアイコスを吸い始め、その仕草のギャップにドキッとする。

女性客は私の全身をじっと眺めて、それからこちらの目を見て話しかけてきた。

「……どこからきたんですか?」

私は言う。
「さあ、忘れたよ」

「……ふふっ、おかしな人ね。今夜は私に付き合ってくれる?」

的な会話をしてみたかったのだけど、まあ実際は話しかけられることもなく。

すると突然、店内に勢いよく荒くれ者が入ってきた。荒くれ者はがに股で私の隣の女性に近づき「いい女じゃねえか。じゅるっ」と舌なめずりをしている。

すかさず私は言う。
「礼儀知らずなガキはママのおっぱいでも吸ってな」

短気な荒くれ者がそれにカチンときて「てめえ!」とつかみかかってきた。キャア!と女性客が叫び、騒然となる店内。

しかし、私が軽く手をひねると荒くれ者は派手にすっころび、力の差を感じたのか「お、覚えてやがれ!」と言って店を去っていった。拍手喝采。ふう、普段から鍛えていた甲斐があったぜ。

なんてことを想像しながら(ささやかすぎる夢の話参照)、私は1人無言で滞りなくカクテルを飲み、値段にビビって1杯だけで会計して帰った。想像したようなことはもちろんなんにもなかった。

だいぶ酔ってふらふらと帰宅。翌朝、妻からだいぶ怒られる。

昨夜、私が「風呂に入る」と言ったのにそのままソファで寝たせいで洗濯と妻が風呂に入るタイミングを失ったこと。Xにバーの写真を投稿する余裕があるならこちらに帰る時間の報告をしろということ。そもそもお酒に飲まれるくらいなら2軒目なんて行くなよということなどなど。正論すぎてぐうの音も出ない。

「いいさ、私は哀しみという路上で踊るただの道化ピエロなのさ」と言おうかと思ったけど、言うと私の命の炎が消えそうになる気がしたのでひたすらに謝った。本当に申し訳ございませんでした。

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