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二つの世界を行き来する
マニアックな話題をよくする指圧マッサージの担当の方と、こないだは小野篁(おののたかむら)の話になった。小野篁は昼間は朝廷に務める役人で、夜は東山区にある六道珍皇寺の井戸を通じて地獄へ通い、閻魔大王に仕えていた、という伝説がある。
こういう話は単純に好みだ。井戸を通じてかどうかは置いておいても、そういう「異世界とこの世を行き来する」ことはあっただろうなとなんとなく思う。陰陽師もいたのだし、ネイティブアメリカンにもシャーマンがいたのだし、そういう話を「ない」とは言い切れない。我々の祖先は、現代よりもそういう機能をたくさん使っていたのかもしれない。
現代でも、たとえば神社でのご祈祷然り、私たちの中にはシャーマニズムなことを自然なこととして日常的に行っている節がある。そこには「知識や情報として」の理解ではなく、「体感として」の感覚がある。ハッとする、すごくいい気がする、鳥肌が立つ、ぞわっとする、なんだかこわい、なんだかありがたい、など。
そんな感覚を、わざわざ普段は意識していなくても、無意識に今でも使っているということは、遠い遠い祖先がDNAにその感覚を刻んでいたからかもしれないなぁなんて思う。そんな大層に語る話ではないが、なんとなく。
日常にないものが日常にあるものと融合した世界。そんな伝説の現場が点在するこの地のそういう側面、わりと好きだ。