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東京寫眞帖 : 赤羽風景・稲付城

今を去ること、20数年前。
お城好きだった自分は、お城のメーリングリストに登録していて、時々オフ会で関東近郊の山城跡に出かけていました。

世の中にお城ブームが起きたあたりから、自分のお城への興味は下火になっていき、メーリングリスト仲間との連絡も途絶え、ひとりで山城攻略というのも色々と怖いので、お城からは足が遠のいていました。
たまに行くとしても旅行のついで、その都市の中心となるようなお城ーということは、天守閣とかの建物がある、いわゆる「お城」であることが多くなりました。

さて先日、赤羽に出かけることになり、近辺の地図を見ていて、ふと稲付城のことを思い出しました。
もちろん山城ではないですが、赤羽駅から歩いて行ける好立地。寄らない手はありません。


稲付いなつけ

現在は「静勝寺じょうしょうじ」というお寺になっていますが、あたり一帯が名将・太田道灌の築いた稲付城でした。
23区内の城跡なので、周囲はすっかり宅地化していて、城跡らしい何かを感じることは難しいです。
あえて言うならお寺の建つこの小高い丘自体が、高台にあった稲付城の名残かもしれません。

赤羽西口通りを入ったところに、
こんもり茂る樹木と階段が。
山門へと続く階段と稲付城の標柱。
階段の左右にも、急な坂が伸びていました。
静勝寺の山門。
正面奥に見えるのは、太田道灌を祀った道灌堂。
本堂
本堂の迫力ある鬼瓦。

狛犬たち

本堂の柱の下には狛犬がいました。
お寺で狛犬って珍しいような気がします。

右の子。
後ろには、丸に桔梗の太田家の家紋入りの鉢。
左の子。
やけにカクカクとしています。
右の子を背後から見たところ。
子獅子のお尻がかわいい。

道灌堂

この日は26日で太田道灌の命日だったので、お堂の扉が開いていました。
払子ほっすを手にした僧形の道灌像。
光の加減か、色白に見えます。

道灌堂。
提灯にあしらわれている丸に細桔梗の紋は
太田道灌が使い始めたものだとか。

思いがけず道灌像の実物を見ることができたので嬉しくなり、しばらく眺めていました。が、なんとなく写真に撮るのはためらわれて、お堂を撮るだけにとどめました。
道灌像の写真はこちらをどうぞ。

道灌堂から山門を振り返ったところ。
静かな境内。

築城当時の稲付城の北西には「亀ケ池」という池があったそうで、江戸も末ごろの村尾嘉陵かりょうの散歩日記(と言っていいのか…)にも池のことが出てきます。
池に張り出した高台。
お城を築くには絶好の地ですね。

お寺の裏手にある急階段。
この下はかつては田んぼ、そして亀ケ池でした。

亀ケ池辨財天

今ではマンションなどの建物がそびえ立つかつての亀ケ池のほとりには、こじんまりとした池と弁天さまの祠がありました。

艶やかな赤がいかにも弁天さまですよね。
池の左側。
池の右側。
右にも左にもほんとうに亀がごっそりと…
池の小島にはかわいらしい弁天像がありました。
(そして亀に乗ってる。かわいい…)

このあとは赤羽自然観察公園へと向かいました。
よろしければそちらもどうぞ。

赤羽駅近辺をぶらついた時の記事はこちら。

(2024.10.26)

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