近郊寫眞帖 : 久地の梅林
またまた季節を遡って、2月の話です。
千葉から今の住まいに引っ越してきてから、南武線が身近な路線になりました。
その南武線に「久地」という駅があります。
久地がかつては梅の名所だったということは、こちらの文章で知りました。
現在の久地駅のあたりを地図で見ても、それらしいものはなにも見当たらないですが、もう少し東に目を転じると「梅林公園」という所があるようです。
このところ、梅といえばもっぱら近くの池上梅園でしたが、たまには遠出もよいか、と出かけてきました。
高津駅周辺
今回は久地駅ではなく、東急田園都市線の高津駅から歩いて行くことにしました。
駅前から延びる府中街道を高津交差点で左折して大山街道に入ると、ほどなくして土蔵のような建物が見えてきます。
溝の口周辺でドラッグストアを展開している「灰吹屋」さんの店蔵で、昭和30年代までは店舗として使用していたとのこと。
こういう江戸情緒を感じさせる建物が残っているのを見ると、嬉しくなりますね。
灰吹屋さんの向かいはちょっとした緑地で、地面には大山街道の各宿場を描いたタイルが並んでいます。街道歩きもいつかやってみたいことのひとつです。
かすみ堤
ほんの少しだけ大山街道を歩いて、すぐに北(というか北西?)に道を取ります。
住宅街の間の道は、適度にうねっていていい感じ。
道なりに歩いているうちに水音が聞こえはじめ、やがて平瀬橋のそばの交差点に出ました。
梅林公園へは平瀬川を渡ればもうすぐというところで、近所の見どころを案内した看板を目にしました。
これから行くつもりの梅林公園や円筒分水のほかに、「かすみ堤」と書いてあります。
堤防かあ…
時間はあるので、もちろん寄り道します。
そして、かすみ堤に到着。
向かって左側、平瀬川に近いほうが少し低くなっています。
土塁みたい! と勇んで堤に上がり歩き始めると…
あら?
堤はあっという間にフェンスに突き当たりました。
ここで終わりなのかな? あっけなかったなあ、と釈然としない思いでUターン。
が、うかつでした。
堤はフェンスのもっと先まで続いていたのです。
自分の歩いた短い区間は川崎市の管理下、その先は国有地。だからフェンスで区切られていたのでしょう。
フェンスに阻まれて素直に戻ってきてしまい、その先を見損ねましたが、全部歩いていたら梅林公園どころではなくなったはずなので、これでよかったと思うことにします。
かすみ堤の仕組みについて、自分の備忘のためにリンクを。
梅林公園
かすみ堤を見た後は来た道を戻り、細い橋を渡れば梅林公園。
かつて数百本もの梅の木があったという梅の名所は、子どもたちが走り回る児童公園になっていました。
はらはらと落ちる白い花びら、鮮やかな紅梅… めずらしい黄色い梅もありました。
ささやかな梅林ですが、そのためにかえってじっくりと1本1本の木を見たり、うっすらと漂う香りを楽しんだりできました。
梅林をなんども巡り歩いているうちに、お昼時となりました。
公園の入り口あたりのベンチに腰掛けて、サンドイッチをつまみながら「久地の梅林」を読み返します。
すると、文中に「渡舟にて多摩川を渡り、右に折れて堤上を行く。(中略)屋根門の内に、大なる藁葺の一構へあり。川邊氏とてこの地の豪農也」という一文が出てきて、あれ? と思いました。
撮ったばかりの写真データを確かめると、かすみ堤前の立派なお屋敷の表札に「川邊」との文字が。(「邊」か「邉」かはちょっとはっきりとしないのですが)
もしかしたら、同じ家かもしれないですね。
大町桂月が久地を訪れたのは大正5年、ほぼ110年前。ひとの生活はこうやって連綿と続いているんだな… と、そこはかとない感慨を覚えました。
小腹を満たしたあとは、名残を惜しんでまた梅林をひとめぐり。
池上のように、たくさんの梅があって梅見の客が行き交う梅園も良いけれど、地元の人だけが見に来るような、こういうこじんまりした静かな梅林もいいものです。
このあとは今日の目当ての2番め、「円筒分水」を見に行きます。
よろしければ、そちらもどうぞ。
(2024.2.18)