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文字詰め警察になっていた

前回も書いたように、最近noteやSNS等の発信が進まない一つの原因に忙しさもあるのですが、「内観モード」だったからかもしれません。

そんな発信が進んでいない状況の中、お仕事で「Figma」や「Canva」といった今まで触れたことのないアプリケーションを使う機会がありました。(現在進行形)

Figmaに関しては引き続き勉強中ですが、この記事でもまず第一に「文字が細かく詰められない」ところで自分の中で引っ掛かりがありましたし、Cnavaに関しては文字詰めもしかり、それ以前にセンスや容量のいい若い女性がデザインの学校を出ていなくてもデザインができてキラキラしたイメージ(作られたイメージかもですが)で、その苦労もしないで楽に効率よくオシャレにやっているその雰囲気に、私の中の昭和心が「けしからーん!」と嫌悪感を抱いていたのを認めざるを得ない感じでした。
(補足:実際触るととても便利で素晴らしいアプリだとわかり、これを無料で使用できることに感動しましたし、実際触ってみてとても楽しかったです!)

そのように色々な抵抗があったにせよ、一番の抵抗は「文字詰め」でした。
私は文字、タイポグラフィが好きだったこともあって授業も専攻していましたし、卒業研究も「タイポグラフィ」にまつわることを題材にし、文字のことしか考えてないといっても過言ではないくらい狂気に満ちた大学生でした。そのこともあって学生時代に信じていた「文字詰め」への信仰にも近い「絶対」「ルール」「守るべきもの」といった脅迫を帯びた考えが、今回のこの抵抗を生んだのだと思います。

過去の記事にも何度も書いてきていますが、今は誰もが気軽にデザインできるツールや、便利な機能があるアプリがたくさんあります。また、20年前よりも独学で効率よく学べる良き時代です。よってたくさんの人がいろんな立場でデザインに関わり、美大・芸大・専門学校を出なくても誰でもデザイナーになれます。

そこでいろんな完成度を求めるものがあっても良いと思うのです。例えばデザイナーに外注する予算がないから社内のスタッフでも綺麗にデザインできるようなツールや、そこまでの完成度はいらないけれど読みやすいよう簡単に綺麗にレイアウトできるフォーマット等等です。

それに対していちいちこれは文字詰めがなってない!みたいな文字詰め警察みたいになっていたその自分の心の狭さやジャッジしていちいち捌いて文句をつけていることが、それこそ時代遅れな考えで少しズレているのでは!?と思うようになってきました。

「文字詰めをちゃんとする」というのは意識が高い考えなのかもしれませんが、自分自身にも「文字詰めがなってないとダメ!!!」と厳しく向けられていて、それはデザインが楽しくないようなスタンスで脅迫のように長年やってきたという事にもようやく気づけました。

以前もに文字詰め警察になっている記事(証拠)がありますのでどうぞ。笑

過去に予備校、美大や制作会社で学んだこと、厳しく教えられたこと等等
間違いではないのですが今ここでそのその脅迫のような「要らないエッセンス」は捨てていくタイミングなのだと感じています。

文字を綺麗にしなければならない!という気持ちは正直、とても息苦しいです。その気持ちで作られたデザインもどこか息苦しさを感じさせてしまうかもしれません。

それよりか「私は文字を綺麗に心がけよう!」とやって自分の最善を尽くしたのなら、もし自分が作ったデザインで文字が綺麗にならなくても、そして他人が作ったデザインが文字が綺麗に見えなくてもな、それはそれなりの事情があるし。それこそ多様性だよね、くらいにゆるく捉えたいと思うようになりました。

それは自分に対しての不要な厳しさをとって、「デザインはこうじゃなきゃ」「文字詰めはこうじゃなきゃ」という苦しい気持ちからではなく、「こうしたら綺麗かな」「こういう文字詰めはいいな」という軽くて楽しい気持ちで作りたいなと思いました。

子供が絵を描く時ってそうですよね、「こうしたら変になっちゃう」「こうじゃなきゃいけない」という窮屈な考えではなくただこう描いたら「いいんじゃない?♪」「こう描いてみよー!」のような気持ちのはず。
それこそが自然なクリエイティブのあり方なのではと思いました。

少し話は抽象且つ壮大な感じになってしましましたが、人の思いや精神が表現に現れるので、表現をやっているからこそ内面の状態にも気を向けて、
本来望んでいない状態になっていたら都度気づいて良い心の状態から表現ができたらいいなと思いました。

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