【938/1096】息を止めるのをやめると起きること②
昨日からの続き。
呼吸・整体での学びのひとつ、「気づいてやめる」
自分のしていることに気づく、というのはそれまでも心理学や自己啓発で学んでいたはずであったが、なんと一番身近な自分の呼吸、つまり息を止めていることにはまるで気づいていなかった。
日常で息をどれだけ止めていたことか。
朝目覚めて、起き上がるとき。
スリッパを履くとき。
トイレに入るとき。
全部書いていたらきりがないほどに止めていた。
ずっと息を止めているわけではない(そしたらさすがに苦しくて気づくわけで)ので、ほんの一瞬であるが、それでも止めている。
息を止めている生活から、息を止めるのをやめる生活へ。
ものすごく地味な作業であるが、とにかくそれを繰り返す。気づいたらやめる。
息を止めている生活から、息を止めない生活になっていくと、月経痛(生理痛)がなくなった。
PMSと呼ばれる月経前症候群で、イライラしたり、情緒不安定になったり、怒りっぽくなったり(八つ当たりがひどい・・・)、頭痛が出たり、眠気がひどかったりしていたのもなくなった。胸のはりが一番最後まで残っていたが、それも最近ほとんど感じなくなった。(これは閉経が近いからかも??まだ閉経はしておらず、毎月定期的に月経がある。)
初経を迎えた途端にひどい生理痛で、2~3日動けないのは当たり前であった。
10代の頃から婦人科に通って、子宮内膜症、月経困難症と診断されていた。鎮痛剤は必須で、「痛くなる前に飲む」が合言葉だった。
生理前後に昨日書いた片頭痛がくるので、本当に毎月憂鬱で、なぜゆえ女性はこんな目に遭わなければならぬのだ!とどこへぶつけたらよいかわからない怒りがずっとあった。
息を止めない生活になったら、この月経痛がなくなったときの衝撃と言ったら!!!!
そういえば、今月、生理来たけど痛くなかった。
あれ?みたいな。
え?痛くなくない??なんで?
としばし、なんかやったっけ?みたいな感じになった。
息止めてないからか!と気づいたとき、この30年を返せ!とまたもやどこへぶつけたらいいかわからない怒りが湧いたが、あとからこれは自分自身で息を止めていたことによる怒りだなーと思った。
本当に痛くて、鎮痛剤を飲んでも、立っていられず、正座してうずくまるしかなかった。
足がしびれて、それでも痛くて、泣きながらずっとうずくまっていた。息を殺して。
本当にまさしく、息を殺して耐えていた。
息を殺さなければよかったのだな。
自分で自分の息を止めて、やり過ごそうとしたけれど、それはなかなかに苦しいことだったよね、と思う。
息を止めるから苦しいのだ。
息は止めないに限る。
このことに気づいたのが人生の折り返しすぎてからだったのが惜しいが、もっと前に知っていたらもっと楽だったし、あの痛みに耐えていた時間をほかのことに使えた!と思うと、これをみんな知っていたらいいよねと思うのだ。
最初から痛かったから、自分はそういう体質だと思い込んでいた。自分ではどうにもできないことだとあきらめていた。
でも、そうではなくて、自分で出来ることがある。
息を止めなければいいのだ。
この地味な積み重ねのすごさをぜひ皆さんにも体験してもらいたい。
では、また。
(このシリーズは続く。)