【593/1096】しないという選択をとる
「やめると決めたら、やめる。」
このシンプルなことがめちゃめちゃ難しいと感じることはないだろうか。
やめると決めたのにやめられなかったということは多々ある。
健康を害するもの(タバコ、カフェイン、砂糖、過食などなど)から、健康に害はないけどやめられないもの(貧乏ゆすり、髪をいじるなどの癖とか)までいろいろ。
多種多様に、生きてればなんらかの癖がついている。
強烈なものから微細なものまであるが、たいてい無意識化されていて、そういう癖が自分にあることすら気づいてなかったりする。
なんらか変化したいというときには、この無意識にしている癖も含めて自分を見直す必要がある。
気づいてないものに気づくというところからが始まり。
無意識にやっちゃってるものはいいや、というのであれば、それはそういう選択ですねってことだけど。
でも、無意識にやってしまっているものほど、自分に及ぼしている影響は大きかったりするので、本当に変化したいときには、そこに手をつけざるを得ない。
そこに手をつけると、気づくことが数珠つなぎのように出てくる。
特に、身体から気づくことは膨大なので、げげげって感じでたくさん出てくる。
その中には、今までさんざん気づいたことも出てきたりしたのだけど、それは頭で知っていただけで、実際には何も手をつけていない状態のまま放置していたことで、気づいただけ、知ってるだけでは変わらないという至極当たり前のことであった。
実際に自分の行為そのものを変化させる。
そうすると、より自分を邪魔していること、無駄なことをそぎ落としていくことが大事になってくる。
そのときに、決めるのは「しないこと」で、しないと決めたらしないだけ、ということだ。
やめると決めたら、やめる。
しない選択をする。
やめるをするのではなく、しないをするのでもなく、ただしない。
具体的には、自分の息があがること、力みが生じることはやめる、しないという選択なのだが、「こういうときは仕方がない」「これぐらいは許容範囲」みたいにしないということ。
これをけっこう自分に甘く設定しているなーと思う。
反射で出るから仕方ない。
湧いてくるから仕方ない。
この環境では仕方ない。
外的要素だからしかたない。
と正当化しやすいので。
それをひとつひとつ潰していく作業は途方もなく感じるけど、この途方もなく感じているのも、実のところ自分がそうしているだけなので、やめればいいだけである。
基準は呼吸。
自分の呼吸がニュートラルであるかどうか。
自分がやっている邪魔なこと、無駄なことは、身体が教えてくれる。
身体調整法という呼吸・整体で学んだ動きをしていると、無駄な癖が見えてくるので。
力んでいることに気づいたらやめるだけ。
それをしないという選択。
それをどこまでやるかは自分次第。
では、また。