【525/1096】映画「対峙」を観て~修復的司法
映画「対峙」を観た。
公開されてから観ようと思っていたが、確定申告が終わらず、延び延びになってしまった。
16日までの公開でギリギリ間に合って、観られてよかった。
アメリカでのある高校での銃乱射事件の加害者の両親と被害者の両親、4人の対話の映画である。
監督は俳優のフラン・クランツ。脚本も彼が手掛けている。
長編映画デビュー作とは思えない傑出した作品だった。
クランツ監督は2018年にフロリダで起きたマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件のニュースを見て、この映画を作ったそうだ。
被害者の両親と、加害者の両親が直接会って対話する会合は「修復的司法」を題材としている。
映画は、冒頭が見事なつくりで、うなった。
両親はまだ出てこない、教会でその職員の女性と男性が部屋を準備しているところ。
緊張感がそこはかとなく漂う。
ぎこちない、本当のことを言い難い、率直に話すことの難しい感じが出ている。
仲介者(ミディエーター)は同席せず、当事者だけで対話するというのがすごいと思ったが、実際に仲介者なしに行う場もあるそうだ。
事件から6年経ち、双方ともにセラピーを受けたり、準備をして、この対話の場に臨んでいる。
報復的対話にならないよう、細心の注意を払いながらも、少しずつ核心に迫っていくにつれて、感情があらわになり、どこまでを語れるのか、本音を語ることはできるのかを見守る観客席で、ものすごく揺さぶられた。
4人の対話は見事としかいいようがなく、加害者の子どもも被害者の子どもも写真が映ることも、事件の再現映像が流れることも一切ないが、対話だけで彼らの思い描いていることが目に見えるように浮かぶ。
私はどちらの立場にもなりうるし、ならないかもしれないが、もしも、私がこの立場であったら、どんな言葉を発すると言うのだろう?と深く考えさせられた。
相手がいかにわかっていないか、自分の悲しみを理解させたいとする被害者の親と、自分たちも苦しんでいることを認めてもらいたい加害者の親の対話は、平行線をたどる。
感情をあらわにして、時にぶつけあいながらも、それでもこの場はお互いの癒しのための場だと自分たちを鼓舞し、対話を進めていこうとする。
そして、終盤にお互いの距離を縮めていくところは圧巻だった。
この人たちは映画の中の住人ではなく、この世界に存在している人たちなのだと思った。
地球上に同じように生きている。
生きていくのに必要なことを、必死で取り戻そうとしていた。
「過去に支配されて生きることはもうできない」と言った被害者の母親のゲイルの言葉はとても印象に残った。
とにかくすごい。
余韻をしばらく味わいたい。
では、また。
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