【1047/1096】根は見えず
中学の時の部活の先生が、
「花が咲いているのは見える。
葉が茂っているのも見える。
その花や葉がついている枝も幹も見える。
けれど、根は見えず。
根がなければ幹も枝も育たず、葉も花も咲かず、実も実らない。
根が腐ったらおしまいだ。
その、見えないものこそが一番大事なのだ」
という話をしてくれたことがあった。
きつい基礎練をチームがさぼったときの説教だったと思う。たぶん。
卒業のとき、色紙に書いてくれた送る言葉にも、「けれど、根は見えず」と書いてくれた記憶がある。
詩か何かの引用だったのかもしれないが、わからない。
先生も亡くなって久しいので、確かめるすべもなく。
自分の根っこになにがあるのか?が大事なのではないか。
とここのところ考えている。
なにを根にして、養分や水分を吸い上げてきたのか。
どのように育ててきたのか。
人生の終盤戦にさしかかってきたので、見直してみる。
人と関わるときにも、目に見えるものだけではなくて
その人の根に想いを馳せてみる。
見えないけれども、どのくらい根を張っているのであろうか。
その根を使ってどんな養分を与えてきたのだろうか。
私はうっかりすると、ついつい世話焼きババアになってしまう。世話を焼くことで、自分の居場所をつくろうとしてきた過去からの癖なのであるが、世話を焼いてしまうとそれは時に人を信じてないことになる。
「この人はできる」と信じて、できるまで見守る。
もしくは、できると信じて任せる。
そういったことを世話を焼いてしまうことで奪うから。
相手が決めることを勝手に世話を焼いて決めてしまうのも、相手にとっては不要なことなわけである。
相手は、自分とは違う根を張って生きてきた人であり、その根から今までたくさんの養分を吸い、幹を育て枝を張り、葉を茂らせ花を咲かせているわけだ。
それを良く見て、必要なことだけ手助けする、または、求められたら手助けするくらいがちょうどいい。
見えない根が、支えてくれているのは、自分だけではなく、
今ここにいるすべての人がそうである。
見えない根に養分を与えてくれる土は、育てなおすことができる。
それが、自分をととのえるということ。
では、また。