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【765/1096】物を手渡す

すっかり秋の気配。暖房をつけようかという気温。
辻村深月の「傲慢と善良」を読んでいる。秋の夜長の読書。小説を読むのは久しぶりかも。

さて、今日はDOJO応用クラス。コミュニケーションを学ぶ。
相手に「手渡す」をやってみる。
手渡すときに、相手に物だけ渡しているのではない。
そして、渡し方、渡すほうのあり方で、受け取る側が渡されるものもまるで違う。
こういう体験は、本当に面白い。

今日のハイライトは、受け渡すものの想定で、扱いが変わるというところ。
受け渡している物は、練習なので、その場にあった物を使っているだけ。
それを、普段、手渡すものに置き換えて練習した。
同じ物を使いまわして練習しているのであるが、その物を何に想定しているか?という意識で、扱い方が変わった。
つまり、しっくりくる渡し方が変わった。
渡される方も変わった。
具体的には物を渡すときの位置を変えただけで、
お互いに息があがるわけではなかったが、明確な違和感はあり、よりしっくりくる方は一致していた。
その物を何に想定していたかで、変わった。
これは、自分的にはけっこうな気づきだった。

え?物はなんでもよくて、その意識でこんなに変わるってことはさ・・・ってわけである。
日常の物の扱い方、自分の身体の扱い方を丁寧にするってどういうことなのか。

帰宅してから、自分の日常の物たちをさっそく見直した。
雑に扱ってもいいと無意識で思っている物たち。
雑に、というか、無意識にランク分けしてた。
礼服と普段着の扱いを分ける、みたいに。
もちろん物によってしっくりくる扱いは違うわけだが、その物を見ているのか、それともその物についている意識で見ているのかで変わる。

昨年の秋に、一回、こんまり祭りをやった(片付け)のだが、この基準が自分に備わってなかったと思われ。
またもう一度、日常の物たちを見直そうと思う。
すごく面白い体験だった。

手渡すのは日常動作でよくあるので、さっそく使えるのもよい。
そこからまた気づくことがあるだろう。

では、また。

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Mayumi INABA
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