【不登校と希死念慮】
まちがいさがし
歌をうたうことが小さい頃からの趣味です。
↑最後まで読んで興味があれば聴いてください。ここは『楽しい』と『真剣』が半々の自分らしい私の生息地です。
正しくありたい
あれない寂しさが何を育んだでしょう
私は長年、無価値感と一緒に生きてきたので、その長い時間がひっくり返った経験として娘たちの不登校だった時期の事をよく発信します。
その時の経験から、
・自分を知って認めてあげること
・自分の一番の味方になること
・ありのままで良いこと
・自分を否定していると本当にやりたいことや生き方が見つからないこと
・普通じゃなくていいということ
これらを学びました。
とゆうよりも、文字で見る限りこんなことは自己啓発に関心があったり、生きづらさに苦しんでいるならば、普段からよく見かけるありきたりな内容なんです。
あぁ、そうだよな、自分を信じることが大事だよな、根拠の無い自信でいいんだよな、とその時は理解したとて、人間はなかなか、生まれ変わるように無価値感から脱出することは難しいのではないでしょうか。
でも、このセルフコーチングとも言える自分へのアプローチをちゃんとできて、圧倒的に腑に落ちたのはなぜか。
ふさわしく笑い合えること
何故だろうか涙がでること
きっかけは、不登校になった娘たちが無価値感を漂わせ始めた事でした。
嫌なことがあったら行きたくないでしょう?
勉強つまらなかったら行きたくないでしょう?
体調が悪かったら行きたくないでしょう?
ママと離れるのが嫌だったら行きたくないでしょう?
天気が悪かったら行きたくないでしょう?
そもそも学校に馴染めなかったら行きたくないでしょう?
不快があるから行きたくない。
いたって当然なことなのに、学校に行かないとゆう事実だけで、周りからどれだけ心配したり白い目で見られたり、気味の悪い親切を受けたりするか想像つきますでしょうか。
これは子供が不登校になった人しかわからない事かもしれない。
ならばあなたが心を病んだ時に、周りの声が毒になった時の事を思い出してください。
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