彼女は忘れん坊ではなく、ただ今を生きていただけでした
私は結婚してから姉が出来ました。
夫のお兄さんのお嫁さん。
この記事では兄嫁さんと呼ぶことにします。
その兄嫁さんがとてつもなく素晴らしい人なんです。
友人に私たち嫁同士の仲の良さを話すとあまり類を見ない義理の姉妹のやり取りに、大抵の人が驚き、後に羨ましがられます。
そして、そのたびに嬉しくなる私がいます。
なので今日はここで自慢しちゃいますね。
兄嫁さんは昔からブレない人でした。
とにかく自分軸がしっかりとした人で…。
盆暮れ正月、と親戚が集まる時、私はいつも兄嫁さんを頼りにして側について回ります。
いつも明るく、マイナスの言葉を決して言わない人なので一緒にいて本当に心地よく、いつ会っても元気を貰える人なのです。
さて、その兄嫁さん。
ひとつ特徴があります。
非常に忘れん坊なんです。
「先日の○○おいしかったです」
とお正月に会った時頂いたお菓子のお礼など、GWに再会した際に伝えようものなら…
「え?何のことかな〜?」
からまず始まります。
私が具体的にお菓子の名前を出すと
暫くしてから
「あ~あれね〜」
と思い出してくれて
ようやく会話が成り立つことがしばしばありました。
始めの頃私は
(どうして兄嫁さんて、こんなに人にあげたものを忘れてしまうんだろう?)
と、不思議に思っていたのですが、最近ようやく理解出来るようになって来ました。
…というのも
先日私が歯医者に行った時のこと。
歯科衛生士さんから
「この間の、甘かったです」
と主語もなく「甘かった」だけを告げられました。
「えーっと?ごめんなさい。何だったでしょうか?」
と思わず聞き返した私。
歯科衛生士さんは、私が前回の治療時に持っていった野菜のことを伝えてくれていたのでした。
あれれ〜?このやりとり…。
まるで兄嫁さんと同じじゃん。
そう頭に浮かんだのです。
そして、わかりました。
いつもあちこち色んな人にものをあげていて、あげた私はその瞬間で完結。
そしてもう次の今を生きている。
そう常に今を生きている。
そんな感じなのです。
人へ何かをしてあげた。とか
やってやった。とか
そうした細かいことはいちいち覚えていない。
私がその人にあげたいからあげた。
それでおしまい。
それに反して思い出すのは
とある人のこと…。
その人はよく
「○○には……をあげたのに、一向にお礼を言って来ない」
ということを言う人でした。
「恩に着せる」というのでしょうか?
いつまでも自分がしたことに対して相手からの見返りを期待しているのでしょうか?
果たしてしてこうした考えの人からものを貰っても嬉しいのでしょうか?
「…してやったのに〜」
は、とにかくその人からよく聞く言葉でした。
さてこの二人の反応。
どちらが、幸せに過ごせているのか?
そんなことを思いました。
きっと忘れるくらいの方が
軽やかに生きられる気がします。
した方は忘れても、して貰った方はもしも嬉しければいつまでも覚えているものです。
そして
相手が嬉しいかそうでないか
その思いはこちら側からは
全くコントロール出来ないのです。
コントロール出来ない部分は頭から外す。
兄嫁さんに似て、最近忘れん坊になって来た私は少しずつですが
今を生きれるようになって来て嬉しく思っています。
そして
〜してやったのに。
と言う人とは少しずつ距離を取って行こうと思っています。
読んでくれてありがとう。
しあわせをありがとう。
出会えたご縁に感謝します。