新しいご縁にありがとう💕
noteのおかげでまた素敵なご縁が生まれました。
その方はぴっぴさん。
私と同じきょうだい児さんです。
私の弟は3歳で発病、その後知的障害になりました。当時の私は小学1年生。
だからか私は小学1年生の記憶がありません。
両親も3つ上の姉である私に構う暇もなく弟を病院に連れて行ったりドタバタの日々だったんだろうなぁ。
と想像しています。
その時から私は弟より
大切にされない=愛されてない。
と勝手に思い込んだまま大きくなったようです。
ぴっぴさんの記事でも、自分は親から愛されてない。
そう思っていたことが綴られていました。
でも、それは単なるぴっぴさんの思い込みでした。
結婚式の当日にぴっぴさんはお母さんからお手紙を貰います。
そこには
「健康で一番しっかりもので、勉強もでき、あまり手のかからない子」
とぴっぴさんのことをお母さんが愛して認めている言葉が書かれていました。
手のかからない子
このフレーズが出てきて私はびっくりしました。
なぜなら私も全く同じ言葉を母から言われ続けていたからです。
でも私はこの言葉に対してあまり良いイメージはありません。
手のかからない子=手をかけなくてもいい子。
だから自分で出来るよね。
だからこれ以上甘えないで。
弟のことで私はいっぱいだからと母から突き放されているニュアンスを感じ取っていたからです。
でも、ぴっぴさんのお母さんの手紙の中では褒め言葉として使われていました。
次はぴっぴさんのことをお母さんは希望とおっしゃっています。
「希望」この言葉にも私は驚きました。
私が愛されていないといじけていた時も
勉強を頑張って学級委員長に選ばれた時も
その私の姿に、もしかして母は希望を見出してくれていたのかも?
そんな気持ちが初めて生まれました。
私なんていなくても良い存在。
そう思っていた私。
ぴっぴさんが貰った手紙なのに、まるで私が自分の母から手紙を貰った気持ちになり、読み進めるうちに涙が溢れて来ました。
涙と共に私自身の思いも溢れて来ました。
詳しく病気のことを教えて貰えなくてとても不安だった。
置いてけぼりは辛かった。
子供なりに分からなくとも親からきちんと説明して欲しかった。
母に付き添って行った大学病院の暗くて冷たい廊下のことをもう40年以上前なのに私はまだ覚えています。
弟の脳波の検査が済み、電極を繋ぐために弟の頭についた粘土を母と一緒に取ったことを覚えています。
たった3つ年上というだけで。
お姉ちゃんというだけで。
冷たい水で弟の頭を洗う手伝いをした私…
弟の病気のこともよくわからず母の不安を敏感に感じ取り、でも冷静を保ちながら必死に良い子として生きてきたあの時の私。
(冷静を保つというより感情がフリーズすると言った方が正しいのかも)
私はあの頃とても頑張ってた。
認められてない、愛されてない、そう思っていたけれど健康に生まれ育ったきょうだい児として
私は確かに両親の希望として存在意義はあった。
そうこの記事を読んで確信を持てたのでした。
この記事に出会ってから私は何度もスマホを開いてはぴっぴさんのこの記事を読み返し、ひとりの時には涙を流しています。
涙を流すことはカタルシスだそうです。
それを今私はやっている最中です。
そして他の人の手紙でありながら疑似体験として母親の気持ちを知り涙を流す。
今こうして記事を書きながらまた泣いている私がいます。
小さい時に泣けなかった私を解き放とう。
もっと涙を流そう。
あの頃封じ込めた感情をきちんと味わって前を向こう。
こうして一歩ずつ私は大人になって行けば良い。
そう思っています。
記事の最後に
ぴっぴさんはお母さんからのこのお手紙を
「火事になったら持って逃げる」
と書かれていました。
あぁ、私にも持って逃げる手紙がある一緒だ。
そう思うととても嬉しくなりました。
私を満たすと決めた時から、そのために必要なサポートはnoteによって沢山もたらされ始めました。
本当にシンクロとミラクルだらけのnoteに感動することばかりです。
最後にご自身の素敵な記事を紹介することを許可して下さったぴっぴさんと、ぴっぴさんと繋がるきっかけを作って下さったゆうゆうyu-yuさんに大きな感謝を捧げたいと思います。
読んでくれてありがとう。
出会えたご縁に感謝します。