音楽のはなし:オーケストラの男女比率
先日、YouTubeでオーケストラとか室内楽の演奏を見ていたのですが、そこに書き込まれていたとあるコメントが気になったので、その件について。
気になったコメントというのは、「(演奏者)全員男性なんだね」みたいな内容でした。
このコメントを書いたのが男性か女性かわからないし、確かに世界的オーケストラについても「男性が多すぎる!」と言われていることがあるのも知っています。
もちろん私だって、性別を判断基準にすべきではないとも思っているし、男女平等であることは正しいことだとも思う。
ただ、どんなに「平等」を謳っても、スタート地点で肉体的な男女差が大きく関わるものもあると思うのです。代表的なのはスポーツじゃないかな。
楽器も同様で、手の大きさや力、肺活量など、どうしても男女で平等にできないことが大きく関わっているのも真実だと思うんです。
そして、その差というのは、努力や才能、技術で超えられるものだってあるし、どんなに努力しても超えられない差だってある。
私は、いわゆる「成長期」より前からヴァイオリンを習っていたので、バリバリの右利きだけど左右の手の大きさを比べたら左手の方が大きいし、指だって左手のほうが圧倒的に開く。これは、子どもの頃に「届かないですぅ~」と泣きそうになりながら練習して(もともと手が小さい……)、身に着けたというか、手に入れたもの。
でも、やっぱり男性の手の大きさには敵わないので、ようやく私ができるようになった指使いを簡単にできてしまう男子が羨ましかったです(今でも手が大きい人は羨ましい)。
「のだめカンタービレ」でのだめがピアノを弾いているのを見て、「大きな手……」という心の声が書かれていた1コマ、本当に忘れられない。
もちろん生まれつき手の小さな男性もいるし、手が大きい女性もいるけど、「手が大きいこと」は、それだけで立派な才能(ギフト)ですよ!
もちろん、技術や努力で克服できるものはたくさんあるし、逆に、私が気づいていないだけで、女性だからこそのアドバンテージだって絶対にある。
ごちゃごちゃ面倒くさいことを書き連ねましたが、やっぱり私は、単純に「男性が多すぎるから女性も入れなきゃ」という考え方はしてほしくないのです。オーケストラでは。
ちゃんと純粋に「音色」や「ハーモナイズ」で選んでほしいし、そうあるべきだとも思う。その結果として性別が偏ったとしても、それがあるべき姿なんじゃないかな。ソリストだって同じ。
芸術は、誰よりも早いとか、正解率が高いとか、誰が見ても100%納得の勝敗がつかないのが難しいところだけど、やっぱり性別云々ではなくて、聴衆の心を動かすような実力のある人が勝ち残るべき世界であってほしい思う。
そう考えると、やっぱりプロの世界って残酷ですね。
もちろんこれってオーケストラだけに限ったことじゃなくて、料理人とかほかも同じだと思います。
私の曾祖母は料理人だったのですが、たまに母親と曾祖母の話をすると、「やっぱり料理は男の仕事だ、っておばあちゃんがよく言ってたわよ」と言うし。中身の詰まった寸胴鍋を持ち上げるにしても、牛さんを解体するにしても、女の力では限界がある、と(例えに牛の解体を持ち出してくるあたり、マジでハンパないけど。おきゃんなおばあちゃんだったんです)。
今の私には関係ないですが、「女性管理職を増やさなきゃ!」だけに捕らわれて、社員評価も女性管理職を増やすことを優先する、というのも本末転倒じゃないの?と感じますけどね。まぁ、会社側もその上流が本末転倒なこと言っていたらどうにもできないのも理解はしますけど(大人の世界って大変よね)。
私が見たYouTubeのコメントは、単純に見たままを軽い気持ちで書いただけかもしれないけど、なんかずっとモヤモヤしていたので、自分の頭の整理もしたくて書いてみました。
あくまでも、私の意見。
ちなみに私のヴァイオリンの先生は、女性ですがN響の楽団員でした(私はN響やめてた後に出会ったけど)。
最後に。
どうでもいいけど、最近『ハウルの動く城』のメインテーマ曲「人生のメリーゴーランド」が強烈に好きです。この映画自体はそこまでじゃないんだけど、この曲は哀愁があっていい曲ですね。ずっと聞いてる。