品行方正に生きてる様に演じることのツケ
いい人を演じるのは簡単だ
いやでもなんでも我慢をすればいい
でも我慢をしていい人を演じたところで、モヤっとはしても、決してスッキリすることはない
それでもいい人を演じるのは
いい人でないことに人として価値がなく
いい人であることが人として価値がある…価値ある人でいるためには我慢はすべきことだろうと思っているからだろう
それに
いやでも、いやだと言うことには抵抗があるし
それでもそう思って
我慢をし続ければ、同じように我慢してる人がやってきて『アンタまだまだ我慢するおつもりか?』ってお知らせ付きの出来事がおこる
我慢して、自分を犠牲にして成り立つモノなのど美しく見えても、経験上ロクなことはないので
もうそろそろこの手の我慢をするのをやめることにした
あと我慢とは反対にみえるが
頑張って努力してきたことは、誰しも報われたいものだろう※個人的には興味がないのだけど
役に立ちたい、何かを良くしたい、色んな相手のため…それは美しいく素晴らしい!何が悪いんだ!と聴こえてきそうだが
いやそれが悪い訳ではない…でもそれは誰のためってさ、結局は自分のためじゃね?
何か有益そうなことをすることで評価を得たい、結果を得たい、仕事的には何か価値あるものを提供しなければ意味がない、必要とされたい…そう思っていない人ってどれくらいいるんだろう
とはいえ、それがダメっていう話ではないし
役割を果たして喜んでもらえれば喜べばいいのだ
それが目的にならない程度に
更にお金を儲けるのだって悪いわけではない
道徳なき経済は…経済なき道徳は…ってヤツだ
生きていくにはお金も必要だし
かくいう私もお金は好きだ
でもさ
お金より大切なモノに、いかにお金を使うか?を考えて、そこからどう経済を回すのか?ってことが最近とても大事だなと思うのだ
美しく見える『相手のため』…の裏にある
いい人と思われたい、評価されて必要とされる人でいたい
って欲というか本音の自分を上手く隠して生きてると思っているが
隠していてもね…結構バレてるのよね
所詮自分の見てる世界は自分の内面の投影ってね
というか、その存在をお知らせする出来事は惜しみなくやって来るなと…あぁなんて慈悲深いことなのだろう…そろそろ気がつきなはれよってね
色々と面白い
あなかしこ〜あなかしこ〜←気に入った♪