料理するように書けばいい
サラリーマンであることを辞めてもうすぐ2ヶ月。
徐々に、新しい暮らしに慣れつつあります。
この間、
私の“売り物”とは何なんだろう
と、ずっと考え続けてきました。
「わたし商店」に並ぶ品揃えはまだ充実してはおらず、
文章、イベント企画、撮影手配、キャッチコピーやネーミング、人選・店選びなど
ご注文いただく内容も様々(というかバラバラ。とってもうれしいことですが)。
いっそ何かの専門店にしたほうがいいのかな?
いやでも、ご相談いただいたら応えるのがフリーってものでは。
そんなことを思いつつ、
再度、肝である「文章」との付き合い方を見直しています。
遠い昔、私は「モノ書きに焦がれる人」でしたが、社会に出てからは長い間、
読者、編集長、クライアント、取材対象者に向けて言葉を発してきました。
そんな私にとって今や、
売文は生業(なりわい)。文章は商品
です。
それだけに、自身が今伝えたいことを自由に書けるnoteの登場は
強烈に新鮮な出来事でした。
ブログや他のSNSでだって、同じことが言えるんじゃない?
確かに。でもなんか、違うんです。ノリでしょうか。
通常、noteの執筆はほとんどが電車の中でスマホライティングですが、
その代わり、かなりの回数、推敲します。その作業がまた、楽しい。
上長やクライアントに向けて書いているわけではありませんし、
文責は私にあり、この記事自体を売りはしないものの
それ以上に、未来計画を宝箱に納めていくような感情で
誰かのために宛てて書く
ことを課しています。例えるなら、クライアント不在のタイアップ記事。
で、これがとても料理という行為に似ていると思うのです。
当たり前の話ですが、料理を作ると、それを食べる人がいます。
レストランだったらお客様が、
自宅だったら家族や友人や恋人が、
一人だったとしても、自分がそれを口にするわけです。
その時、
相手の期待を優先するか、自分の表現欲を大事にするか
は、実はものすごく大切なことだと思う、のだ。
だって、想像してみてください。
レストランに入ってカレーを注文しようとしたら
「それより、僕の最高傑作の肉じゃがを食べてもらおう」とシェフに言われたら?
恋人の手料理を楽しみに、腹ペコで家を訪ねたら
「今日はお腹すいてないし、自慢のサラダだけ作ったよ」と言われたら?
相手の期待と自らの表現欲が幸せな一致を見せるのは、
自分のために作る場合だけ(要するに自炊だ)というのも面白いことです。
文章を書く行為は料理に似ています
もちろん、太宰治とか尾崎豊とか、
てんで自由に自分の世界観を追求し、世に丸出しにしてても、それが熱狂的に支持されたアーティストもいましたが、
あれは、彼らの「私小説」的な要素を欲する読者がたんまりいたから。
「シェフの気まぐれサラダ」にどハマりしてるようなもんです。
が、そのシチュエーションに至るまでには、
おそらくどんな巨匠も「私が食べたい(読みたい)のはこれじゃない!」とばかりに、何百回、何千回と、拒否されつつポジションを確立したのではないでしょうか。
長い間、第三者を喜ばせるための文章を目指してきた私が、
さぁ今から、自分のためだけに己をさらけ出して書いてみよう!というのは
ちょっともう、無理だなーと思います。
せっかく心と時間を使って書くものはやはり、
誰かに「美味しい」と言ってもらいたいし、そこを求めたい。
要するに、仕事でもnoteでも
書くものに関して売る覚悟を持てば、拓けるというのが、
なんとなく今、私が考える“解”です。
noteを読んでるとたまに、「毎日更新するのは無理〜」とおっしゃってる方を見かけますが、
書いたものを誰かが喜んでくれるなら、更新頻度なんて気にしなくていいじゃない、と個人的には思います。
誰もスキしてくれなくても、自分が読んで美味しければ、それでもいい。
料理するように書けばいい
と、心から思います。
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フードトレンドのエディター・ディレクター。 「美味しいもの」の裏や周りにくっついているストーリーや“事情”を読み解き、お伝えしたいと思っています。