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結果がわからないことをどれだけやれるか?

↑今後の自分のテーマのひとつ。昨日月夜の祈りのzoomに参加して感じました。できるかは、わからん

参加する時は、だいたい質問をします。気になることが多いというのもあるけれど、一度は発言しないと損、みたいなところがあります。発言する時は、緊張します。①誰かの地雷を踏んでないか?②ちゃんとスゴイと思ってもらえるか?自意識によって、力んでいます。

たいてい①も②も起こらず(って確かめようがないけれど)、自分の勘違いが露呈して、どひゃーとなって終わります。私は、できるだけ期待外れの自分に出会わずに過ごしたいと思っています。でも、もしかしたら出会いたいのかもしれない。なぜなら、自分に対する期待は、自分を縛り、ハードルを上げるから。そうして動けなくなっているのが、恥をかくとなんか、解放される気がします。そういう恩恵を、あの場から、貰っています。

私の場合、自分に対する期待は、相手に対する期待とセットです。何かをするにあたっての条件が増えるのです。「役に立つ」「元気になる」「感謝される」などが、満たされるのであれば、やりますと。大前提として、自分には、これらの条件を満たす力があると信じています。激しい思い込みです。何より、相手がどう感じるか、自分がどうなるかは、やってみないとわからないのに。

ここで思うのは、遊び心の大切さです。遊びは、結果のためにやってない。私は昔、リコーダーを吹くのが大好きだったのですが、別に誰に聴かせるでもなく、音を出すこと自体が楽しかった。大きくなるにつれてやっぱり、なんていうか「意味の世界」に放り込まれて、周りに褒められること、受験や将来のプラスになることだけを扱うようになって、この堅苦しい私が出来上がった。まあだからこそ、人や、たまーの自分の無邪気さに触れる、よろこびがあるんやけど。

人生は、意味ではない。どっかの誰かの言葉です。冷静に考えるとほんとそうで、どうせ死ぬのになんで生まれてくるのか、謎でしかない。仕方なく、目の前の、濡れた洗濯物を干す。どうせ誰も読まないけど、朝からひとりごとをネットに晒す。意味じゃない人生を、どう遊ぶか?遊び下手な私が、何か言ってます。今日は久々の早番。バイトは意味の世界。報酬があるから行く。安心する。でもそれだけじゃ嫌で、下手なりに、遊びを増やしたい。


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