私の中の”ぼく”と”わたし”の話~プライド月間に寄せて~
久しぶりにYouTubeを開いたら
「プライド月間」「LGBTQ」というワードと共に
見覚えのあるYouTuberの方々が、虹色の背景をバックに笑顔で写っているサムネイルが目に飛び込んできました🏳️🌈
「へ〜。。。🥸」
たいして何の感情も湧かなかったのだけれども、
でもなんとなく、せっかくだからこの機会に
自分の中の”セクシュアリティ”というテーマを、みんなにシェアしてみようかな〜😌🌿
なんて想いがじんわ〜り湧いてきて、
ある意味で、ひとつ、
自分ひとりで固く握りしめてきたものを、今ならスーッと手放せるような、
そんな気がして、今この文章を書いています。
さて、前置きが長くなったけれど、
そして、これを読んでくれているのが誰なのかもわからないけれど、
たぶん、私をよく知る身近な人なんじゃないかなと思って、
そんな大切なあなたに話してみたいこと🍀
私の中には”ぼく”と”わたし”がいます。
もっとわかりやすく言うと、自分の中に男性性と女性性がどちらも存在しているということ⚧
「おぎゃー👼」と生まれた時には、女の子という扱いになり、戸籍も、パスポートも性別の欄には「女性」と書いてあるのですが、
ものごころついてから20年近くの間、
私の感覚は、いわゆる”男性”に近い時と、”女性”に近い時とその間を行ったり来たり、留まったり、流動的に変化しています。
時期によって、日によって、そのバランスも色々と変わります。🙋♂️🙋🙋♀️
「男になりたい」とか「女になりたい」とかじゃなく、その瞬間瞬間で”自分の感じるままの感覚”に素直であればあるほど、ジェンダーの壁を勝手に超えていってしまうような感覚です。
「あれ〜、気づいたらジェンダーのボーダー超えてた!!」みたいな😆
ファッションとかだとわかりやすい。
最近は美容室に行く時にメンズのヘアカタログから選ぶことが多いです💇
だって、そっちの方が「好き」だから。
無理してレディースのカタログから選んでいた時より、断然おしゃれが楽しい今日この頃です🌈✨
世間では私のような男女両方の感覚を持つ人を、Xジェンダーだとか、そんな言い方をすることもあるようです。
セクシャリティに悩んでいた高校生の頃の自分は、Xジェンダーという言葉を知って自分の居場所を見つけたような安心感があった記憶があります。
だけど、今の私はそもそも何かを定義したりカテゴライズすることがあんまり好きではないので、
自分のことをXジェンダーと名乗るのはなんだか気が向きません🤔
(カテゴライズって便利だけど、あんまり本質的じゃなかったり、暴力的な面があったりするような気がして)
どんなラベルをつけたところで
ただ私という人間が在るだけです🌹
なので、今日も明日も明後日も、
みんなが体調や気分が違うのと同じように、この人はセクシャリティ(ここでは主に性自認かな?)が違うんだな〜、
天気や気分と同じように、男性性と女性性が変化するんだな〜ってくらいに理解してもらえたらいいな〜って思います☺️
(割と3年周期くらいで男女のベースが入れ替わるような感覚はあるので
もしこの現象を科学的に解明してくれる人がいたら面白いだろうな〜✨)
恋したり、愛したりするのは今のところ、人間であればセクシュアリティは関係ないです💓
記憶にある限りで、小学2年生の時には既に、同性の子が好きだったけど、
私にとってそれが”普通”で、変だとも何とも思っていませんでした🤗
女の子として生まれながらも、男児用の服を着て学校に行き(幸運なことに母は私のやりたいようにサポートしてくれていました。お母さんステキ👏)、「大きくなったらジャニーズに入りたい!」という大志を抱いていても、それが私の”当たり前”でした。
セクシュアリティが悩みの種になったのは”常識”を学ぶようになってから。
そして今、悩みの種じゃなくなったのは”常識”を疑うようになったから。
(かな?なんかカッコいいこと言おうとしてる気がしないでもないけど🐣)
小さい時から、自分の中に当たり前に感じてたものを、いつからか、外の世界の”当たり前”と比較するようになって、
「自分は普通じゃない」ように思えて、
「普通にならなきゃいけない」ように感じて、
本来の自分の姿に蓋をしてきたように思います。
そして、それは同時に自分の人生の主導権を、手放すことでもあったと思います。
「人生の主導権を手放すなんて、なんて寂しいことなんだ!!」って今となっては思うけど、案外誰しもそういう部分は持ち合わせているんじゃないかな、って思ったりもします。
(それについてはまた改めて言葉にできたら良いな〜)
さて、ざっと中身はこんなところなのですが、
なんでまたこんなことを赤裸々に、
自分の内から、みんなの方へと
スーッと開いてみようと思ったのかについて。。。
(もう長くて読むの嫌だ!って方はまた今度👋ここまで読んでくれてありがとうね☺️)
これまでの私ならセクシャリティというテーマについて、自分自身と向き合っていくことはおろか、それついて誰かに話そうなんて、怖くて、不安で、できなかったと思います。というか、できませんでした。
でも今はむしろ、あえて言葉にするのももはや面倒なくらい、自分の中で「(良い意味で)どうでもいいこと」になっていて、
(ここまで読んでもらいながら言うのもなんですが、このページの内容は正直「どうでもいいこと」しか書いてありません🙈💦)
でも、だからこそ、みんなに届くように言葉にして伝えてみたいって気持ちがあるし、
今まで頑なに握りしめて、自分の中に閉じ込めてきたものを、これほどまでに軽い気持ちで言葉にできる日が来たこと、
そこまで自分がたどり着けたことがとっても嬉しいです。
そして、これまでの道のりで、
私が自分自身を受け入れていく作業を、
知ってか知らずか手伝ってくれた人たち、影響を与えてくれた人たち、
あなた方が私の人生の一コマに関わってくれていることをとっても嬉しく思います。(これを読んでくれているあなたも🍀)
あと他に何を伝えたいか、あまり思い浮かびませんが、
最近思うのは、「この世の中には男と女しかいない(もしくはそれが”普通”である)」っていう、私がそれまで自分で自分を縛り付けてきた”世間の当たり前”ってだいぶ変だよな〜って思うってこと。
これまでは、「私の方が変なんだ!」という風に思ってたけれど、
世界を旅したり、日本を旅したり、瞑想してみたり、自然や地球について学んだり、色んな人たちに出会って色んな価値観に触れると、
「”世間の当たり前”の方がめちゃくちゃ変じゃん!!」って思っています。
もうほんとに声を出して笑ってしまうくらい、不自然でおかしなマインドセットで生きてるな〜なんて思っちゃいます😆
「世の中が男と女で分けられるなんて、変なの〜、ハハッ🤣」
って感じです。
世間の価値観に抵抗したいわけでも、自分の存在を認めて欲しいわけでもなく、
どうしたらそんな風に”常識”が形成されていくのか不思議だな〜、面白いな〜、って思います✨
人間っておもしろい〜🧘
同性婚とか法的な権利とかは認めて欲しい想いは、もちろんありますが。
「とは言っても生物学的に性差はあるでしょ?」とか思う人もいるかもしれないけれど、
個人的にはジェンダーとか性差って、どちらかというと、生物学的な面よりも、私たちの頭の中の方に強烈に刷り込まれているんじゃないかな〜って思います。
「これが好き!」「こっちの方が居心地がいい!」っていう感覚の方は、自分でコントロールできるわけでもなく、心から湧き出てくるごく自然で純粋なものだと思うのです。
「でも女だから」「でも男だから」って、その純粋な想いを遮ったり、歪ませたりするのは、頭の中の概念の方なんじゃないかな。
性別という概念そのものが悪いとは思いません。でももし、本当に性別に囚われない社会があるとするならば、その社会では人間はどういう姿になるのか、
きっと一人一人がもっと自由に「好き」を表現できて、色とりどりで豊かに生きれるんじゃないかなって、そんな風に思います。
一人一人が自分の人生の主導権を自分で握って。
なんだかわかりにくい話になってしまったけれど、
まとめると、
あなたが知っている、私という人間がいるよ。
私の中には、生きていく上で、男女という概念では収まらない部分があって、
今までみんなには見せてこなかったりもしたけれど、
もう隠さず見せたいよ〜、知って欲しいよ〜🙌🌈
っていうこと
そしてもし、どこかで誰かがつくった当たり前に囚われて、
自分を苦しめてしまう人がいるなら(セクシュアリティのことに限らず)
あなたの力になりたいよ🤝🍀
っていうこと
それだけかな。
なにか質問やコメントあったらDMでもなんでもお待ちしています〜🙋
生き方や在り方について、みんなと話せたら嬉しいな〜🕊
最後まで読んでくれてありがとう😊
またね〜👋